故郷の村に杏(あんず)の花は咲くのに
<脱北者からの配達されない40通の手紙>
下記の写真は「季節の花 300」 より東京の杏の花。これは、韓国ソウルの「セジョウィ」*という脱北者支援のNGOが6年前から企画している、(韓国に入国している)脱北者たちが北朝鮮に残してきた「父親・母親・息子・娘・兄弟姉妹・友人等」への書簡集である。 *(社)新しく1つになった祖国のための集まり(代表:シン・ミニョ)
しかし、韓国から出す彼らの手紙は北朝鮮には配達されない。
北朝鮮にも郵便局は存在し、もちろんUPU(万国郵便連合)にも加盟している。切手が外貨稼ぎの手段となっていることも今では周知の事実である。
だからといって脱北者からの手紙を、北朝鮮政府が、素直に北朝鮮にいる人々に配達すると思うのは人が良すぎるというよりは、北朝鮮情勢にあまりにも疎い人であろう。
配達されたとしたら最低でも「すぐ帰国して!」と泣きつかれることになるであろう。
韓国にいる脱北者宛てに北朝鮮から手紙をなんらの検閲もなく投函できるなどと考えるのも同さんの仕儀である。
だから、セジョウィはこうやって脱北者の書いた手紙を公開してきたのである。
そしてこれを昨年(2009)には韓国で、単行本『故郷の村に杏の花は咲くのに』として公刊した。
英訳も試みられていると聞き及ぶところ、日本でも、ぜひ皆さんに読んでいただきたく、和訳した次第である。
なお、まだ全部の翻訳が完成していないので、完成した文から掲載して行く予定。
ご意見やご感想は、oasisnk@yahoo.co.jp まで。
「教保文庫」の掲載ページ及び原書の写真は、下記のとおり。
巻頭言
彼らはこの道が永遠の離別であるということを考えることができませんでした。飢えて死んでもいっしょに死のうといい、自分が死ぬ日までいっしょにいてくれというお母さんに金をもうけてくると離れたこの道、1か月だけ耐えればお母さんに会えると思ったし、1年待てば帰る道だと思いました。
しかし遠くても近いこの道が、呼んでも返事を聞くことができず、走って行くこともできない永遠の離別になりました。北朝鮮の生活をあまりにもよく知る息子、どんな苦痛の中で生きているのか尋ねることさえ恐ろしくて、配達されない手紙に事情を書き送って、どうしようもない気持ちをなだめてみようとします。
これらの中には、8才で別れたお母さんを、お母さんと呼ぶことが一番したいことなのに、言葉に出せない名前だと手紙に書いた14才少年もいます。時間が薬だといいますが、年が経るほどに加わっていくお母さんに対する懐かしさが骨を削るようで、山に登って声帯が破れるほどに叫べば幸運にも不思議なことが起きないかと、何度も叫ぶという幼い少女もいます。
北側の故郷へ送る手紙には韓国に来た北朝鮮離脱住民たちが北朝鮮にいる家族、親戚、友人に送る、すまないと思う心、伝えることもできない事情、すぐにでも走って行って助けてあげることができない哀切と恨めしさが含まれています。
手紙を通じて北朝鮮離脱住民を理解し、北朝鮮同胞を理解して行く機会になって、韓国、北朝鮮住民が和合するのに役に立てばと思います。私たちはこれを「統一予行練習」だと思っています。
(社)新しく1つになった祖国のための集まり
http://www.saejowi.org/
代表 シン・ミニョ
お母さん、お父さん お母さん、家族全員が去る晩,悲しくて涙をこらえておられたお母さんの姿を 忘れることができません。 「 いっしょに行きましょう」という私たちに 「おまえのお父さんのお墓がここにあるのに、家があけられますか」っておっしゃいましたね。 「子供だけを見送りながら、私だってついて行きたいと思わないはずがありましょうか。 危険な道に、お荷物になるかと心配で一人で残ったの。」という言葉を 後で聞き、私たち家族は一晩中泣きました。 4.深くしみるようになつかしいお父さん、 お母さんに申し上げます 9.愛する父へ 10.愛する私の娘ユノク 12.息子に 13.愛する娘ヨンヒに 14.愛する息子に 15.懐かしくて会いたい、抱いてあげたい私の娘ヨンスクに伝える 17.会いたい息子に 18.愛する私の子供たち 19.カマチ理由 弟よ!いつもそのように生きてきたけれど 食糧がなければ野原の草でも明かして生きていてくれ 私もそのように生きたので お前らも死なずにどうしても生きて 私たちが共に過ぎた日の難しかった生活 懐かしかった毎日を 昔の思い出として話すその日まで どうか脈をやめず必ず生きてくれ… 21.なつかしい姉さんに 22.愛する姉さんに 23.愛する姉さんに 25.愛する叔母に 27.夢にもなつかしい姉さんに 友 32.ヨンヒに 33.北朝鮮の友人ナミルに 34.友人ヨンスクに 40.会いたい友人スンオクに |