<第10の手紙>

愛する私の娘ユノク

イ・ユンチョル

 

いつもそうであったように鉄杖ない監獄に変わってしまった暗い北朝鮮土地でどれくらい苦労しながら住んでいるのか、父は常に悩みながら心配しているんだ。いつも奥ゆかしい微笑で君を愛して下さったするマネーは今でも住んでおられるのか今ぐらいは80才の高齢になられたので北朝鮮では想像もできない私だが必ず住んでおられるとは父は信じている。

 

君が十才、私は年がまさに1996年度であった。

本当に1996年度は死の年だったんだ。北朝鮮土地の行く所ごとにみな飢えて死んだ死体が数え切れないくらい多かったし、通りの路地、路地毎に生計を維持するための強盗がウク室したし、腹がへることに苦しめられた子供たちは市場に群れをなし行き来しながら盗賊に変わってしまったんだ。

 

その年我が家だと例外でなかったんだ。この父は君を守らなければならなかったしおじいさんとおばあさん私たち四家族を生かさなければならなかったんだ・家の中に食べ物はとうもろこし米1kgが全部だったが父がしなければならないことは食糧購入すること以外なかったんだ。

 

その年115日明け方1時に穏城から出発して平壌まで行く穏城平壌列車に身をのせたんだ。出発を知らせる信号といっしょにごとんごとんと声を出すと列車は離れていただろう。

 

その当時私のからだに持っていたことは腕時計'牡丹峰'と結婚式の日着ていた洋服一揃いが全部だったんだ。腕時計と洋服を与えて食料を求めるといっても悪口授受米10kg程度の外にはならなかったんだ。

汽車はのろく出発していたがいつかは愛する娘とご両親様を腹いっぱいに接待して食べさせられるその日を待ちこがれながら心片隅が満たされたんだ。狭苦しい列車内でも瞬間ではあるがいや夢の中でだけでも幸せだったのに騒々しい距離は声に破って出てみるので“人が死んだ”というどなり声が聞こえてくるね、理由はすなわち私のように食料を求めに通ったどういうおばさんが列車の連結塩辛さに置いてリガ切られられていたし、絶えず血を流していたんだ。

 

愛する私の娘ユノク!

私は今その時の事を考えれば全身に鳥肌が立って冷や汗が出て憤怒と悲しみと抑鬱感が交差するのだ。

8才もなったのだろうか?明らかに死亡したおばさんの娘だったんだ。

どれくらい腹がすき、飢えたらお母さん一ケ所そのようにしつこくねだったのだろうか、死んだお母さんを抱きしめて絶望に近い声で律賦作るね。

“お母さん二度とお腹が空いたって言わないから、お母さん死なないで!私が全部間違ったの”私はその子の顔に北朝鮮政策の誤りを見たし傾いていく社会主義の姿と愛する私の娘ユノクの顔を見たんだ

父は目撃者だが特別な方法はなかったんだ。

もっぱら北朝鮮土地で生まれたのが悔しさとくやしいだけだっただろう。それでも父は耐えなければならなかったんだ。故郷の家例おられる君のおじいさんとおばあさんがおられたためだろう。この父は胸の中に.血の涙を飲み込みつつ、おまえの大きいおじいさんがお住まいになる咸鏡北道、漁郎郡に探して行ったんだ。

この父は腕時計と洋服をふところに抱いて山奥の村を回って回ってとうもろこし米いや黄金米といわなければならないだろうか10kg:を変えておいてオ・ラン逆転に出てきたんだ。駅前に出てきてみるので列車は延着でなく完全に何時出るかも知れない状況だったんだ、苦労あげく私が家に到着した時間は正確に10日後である1115日であった。

私は嬉しい気持ちで家に戻ったが、この父を歓迎してくれたのは喜びでなく悲しみだったんだ。家は少し寒かったし愛する私の娘ユノクは白い紙のように白い顔で横になっていたし祖父はすでに息を引き取っていたのだ。私はお父様に微吟1さじも接待できない不孝子になって永遠に洗うことのできない罪を犯したんだ。

愛する私の娘、父を許してくれ。

父は家庭を愛したし両親にも親孝行したかったのだ。しかし私の思いのお母さんにならないのが北朝鮮の現実ではないの?

 

オクは力強く生きてくれ。

父は可愛い服でもおいしい食べ物を見る時ごとに君を懐かしがりながら痛い心なだめているんだ。ユノク、君と別れた日が直ちにおじいさん祭事翌日だったよ?父は胸の中の痛みを酒で月レ見ようと酔いに上がっていたところで-父がとめどなく泣いて胸中の一言を投げてしまったんだ。“このように飢えて死んで凍って死ぬのが我らの方法の社会主義か?その誰がこいつの社会主義を守るか?”ということだ。その一言に父は保衛部に逮捕されて偶然な機会に脱出に成功したんだ。

父が保衛部に逮捕されて誤るようになれば私の娘オギは反逆者の娘で住まなければならないために父は一人だけが犠牲で家族を生かしたかったんだ。そして私たちの家族が別れた事実を君は知っていなければならないので偶然な機会ができてこのように文に伝える。

ユノク!私が君に教訓される一言を最後に言おう。

北朝鮮では“口というものは食事時間を除いて有害である”

父が送る


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