<第23の手紙>

愛する姉さんに

シン・オジョン

 

 姉さん、その間元気でしたか?

 

 今日も食べる心配、着る心配のために疲れる一日を送っている姉さんにこの手紙を書きます。姉さん、今北朝鮮は水害で多くの人命被害が出たというのに姉さんたちと弟(妹)は被害をこうむらなかったか、そしてスープでもちゃんと食べて生きているか、毎日兄弟の心配で気が楽な日がありません。

 

 姉さん、私は今私たちの北朝鮮でそのように嫌いでまた憎悪する南朝鮮に来ています。私たちが教育を受ける時には南朝鮮に行けば米国奴と南朝鮮傀儡らが月韓国の人らはみな殺すといったが姉さん、私は今でも住んで堂々と大韓民国のある国民で生きていっています。私が韓国に来たものを姉さんが分かればびっくりされるでしょう?

 

 姉さん、200312月、私が北へ送還されていった時にも姉さんに韓国に行こうとしたが捕まったという話をできなかったです。あまりにも驚かせる事実をあえて姉さんに話せなかったです。ここまできながら体験した苦労らが今でも映画のように生々しいです。

 

 姉さん、私は2003918日中国延辺を去って韓国にこようと離れて捕まるようになりました。中国公安は私からお金を奪おうとして自分の体と荷物をみな探して図們辺境に移送しました。そちらに入ると、私と全くいっしょである境遇の北朝鮮の人々がたくさんいました。

 初めには韓国こようと離れて捕まって見ると、目の前が真っ暗にだけなりました。北へ送還されていけば死ぬと考えたので私は絶望に抜け、またとても悩んで見たらご飯を食べることができませんでした。そうするうちに図們辺境拘留場で病んだりもしました。そのように一日一日を苦痛に生きていきながらも韓国に行こうとする希望だけは捨てられなかったです。なぜなら韓国に来る道だけが私だけでなく姉さんらと弟(妹)も助けられるところだったためです。

 

 そのように3ケ月の間私は図們辺境でたくさん考えたし、北朝鮮に出て行けばどのように無事に住んでまた中国を通して韓国に行くのかに対する計画を一つ一つ頭の中にたてました。

 

 1220日、私はそんなに行きたくない北朝鮮に北へ送還されました。実際に北へ送還されると名前を呼ぶ時自分の心情は錯雑なだけでした。中国で住んで捕まったら大丈夫だが韓国に分けて捕まった私は果たしてこれからどうなるのか、死と監獄が瞬間に頭の中を映画のようにかすめました。夏の服を着てその寒い12月に綿入れも着ることができなくて北へ送還された時の私の心情を何であると表現したら良いのか・・・

 

 北送還されて初めて行ったところは咸鏡北道、穏城保衛部でした。そこに入って荷物は別に置いて4人ずつ独房に入って頭てっぺんから足の先まで服を皆脱がされ、金があるかを調べて見るのが最初に受ける調査でした。人権というものは探して見ようとしても探してみることができなかったです。

 

 しかしそれは何でもありませんでした。18坪にもならない部屋に200人の人が入るようにして食べるのはうどんいくつかの鴨で沸かした(うどんは何本しかないこと)うどん粥だけでした。そんなところで35月ずついるので人々は疲れるだけ疲れていました。しかし、私はいつも私の思いを整えなければなりませんでした。韓国にこようとしたが捕まったので一言に生死がかかっていました。それでいつも神経は鋭いだけでした。そのようなの中で私は調査時偽り陳述をしてやっと生き返りました。

 しかし、死とも同じ試練はその次にでした。疲れて虚弱な私のからだはこれ以上耐えることができなくて病気にかかってしまいました。激しい寒さに夏服を着て私が住んでいた故郷の保衛部に到着するので足は寒さに凍傷を起こったしインフルエンザに伝染病まで重なって終わらせようとついに横になってしまいました。

 

 しかし、保衛部では横になることもできなくしてその冷たいコンクリート愉快そのまま座らされました。食べることもできずむしろこのようなことは水一杯飲まずそのまま心配してこのまま死ぬ考えもしてみました。激しい下痢で着た服をみな破って取り替えながらも行って死ぬ限りがあっても必ず韓国に行くならこちらで(保衛部拘留場)死なずに生きて出て行かなければと念を押しました。下痢を伴った伝染病が広がって忙しくなって保衛部では私たちを皆家に送りかえしました。

 

 その時歩けない程度で衰弱した私をのせて行こうと手押車とふとんを持ってこられた姉さんとおい(めい)の姿を忘れないです。障害者の不便一体でそれでも姉さんと弟(妹)をのせて行きながら涙消された姉さんの姿死んでも忘れることができないでしょう。家にきても直ちに窯に入る糧穀がないのに私の薬を買うと財産の全部のウサギを売ってついに薬を作ってきた姉さんでした。姉さんがそのように誠意をみな捧げて生かしたこの弟(妹)は今韓国でうらやましくなく良く暮らしています。姉さんも今の元気な私を見ればびっくりされるはずです。

 

 姉さん、私はいつも姉さんのその愛を美しく生きています。

 

 姉さん、私は今昼間には学院で熱心に学び夕方には仕事をしながら住んでいます。南北の体制が互いに違うこちらでは知らないでは住めないです。それで学院でずっとくのことを習いたいです。

 

 姉さん、ある人々は韓国にきて定着すること苦心して、だが私はこちらで習って仕事をするのがどれくらいうれしいのか分かりません。私が熱心に仕事をすれば働いた分だけ一日も間違いなくその代価を受けて学院も無料で、むしろ恩恵を受けながら勉強します。北朝鮮ではいくら仕事をしても月給さえ正しく受けることができないのと反対にこちらは私がどれくらい熱心に生きるのかにより私の人生が決定されます。

 

 姉さん、今日姉さんに私が一つの約束をします。熱心に生きて熱心にお金を集めて姉さんと会う時必ず金持ちになって姉さんの前に出ます。ぜひその日まで私を生かすために努めたその情熱大事に保管して、病まずに屈しなく住んで下さい。統一されればお母さんといっしょに姉さんにこの弟が一番最初に走って行きますね。

安らかに-・・・


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