<第18の手紙>愛する私の子供たち

ミョン・クムソク

 

 息子よ、そのどこかで住んで苦労しながら私を恨みながら大変がる愛する私の肉身の一部門の君たちを守ってくれることができなくて一人でこの道を来た申し訳ないということと胸の壊れる痛みと骨をはいやめる自責でこの胸を打ちながら気が焦る心を一筋の涙でなだめながら君たちに行って届くことのできない文を何行か書いてみる。

 

 愛するミョンジュ、クムヒャン、君たちにお母さんの愛をあげられなくなって7年、君たちと別れる時ミョンジュは10才、クムヒャンは6才だった。自由なくて平和ない独裁の土地、その土地でスパイでない宗教スパイとして追われ、反動思想流布罪で最高刑を受けた私が九死に一生を得て生き返ってきた便りを知ってお父さんこっそりと数千里を何日間も飢えながらこじきになりながら訪ねてきた君をこれ以上苦労させたくなくて20003月豆満江薄氷に向こう脛まで抜けながら120里山の谷間で猛獣らに追われて無事に国境を越えたという安堵感に浸る間もなしに君を後に残して中国公安に逮捕されて北へ送還されたのが君との最後の生き別れだったよ。

 

 北へ送還途中死ぬことを覚悟して逃走して友人を通して君が私を探して北朝鮮から出てまた豆満江を渡って中国に行ったという消息を聞いて息だまされる間なしで平安南道でこのお母さんを訪ねてきたというクムヒャンも会わず君を追って筒トウモロコシをかみながら豆満江を越えたが君の姿は見られなくて仕事をさせてご飯だけ食べさせてくれれば良いと頼んでご飯だけ一食食べて消えたという君の便りだけが私を待っていた。悲嘆に暮れておりるようだっただろう。その後接したクムヒャンと君のお父さんが間違っていたという悲報に生きる意欲が殆どなくなったし挫折感に溺れ死のうとしたこともその何度かわからない。

 

 数千数万里、道でない夜道を歩いて200412月肉と骨が魂凍り破れるようなモンゴルの酷寒の中で雪と氷塊をかみながら5名が互いに肩あわせて助けながらみな凍って凍傷を受けた脚を引っ張って目的地の大韓民国に到着した。入国したのも1年半という歳月が流れた。

 

 愛する私の息子、私がこのように粘れたのは、もっぱら君が生きていて会うこともできるという一筋の希望があったためなんだよ。骨と肉を削る痛みを後にして今日は大韓民国で社会的保護を受けながらその土地で享受してみることができなかった幸福と平安を保証されている。しかし君と生き別れて君のお父さんとクムヒャンを失ったこの心の片隅は常に痛みと悲しみと懐かしさと惜しみが残っている。

 

 愛する私の息子、私の娘!

 かつて君たちのそばを離れなければならなかった私が今日はこの大韓民国でこのように胸濡らす愛と自由、幸福と後援を受けているが、これを君たちといっしょに分けたら私はこの世で最も幸福お母さんになっただろう。このようにかつて君たちのそばから離れると分かったならばいっしょにいる時もう少しあたたかく愛してあげて惜しんであげたのに…

 

 しかし父母としてさらに愛してあげたくても惜しんであげたくても幸せにしたくても描くことができなかったその不毛の土地が悔しいな私もその土地で生まれたのが罪になって苦難の歳月かろうじて生計を維持していく北朝鮮の人たちの中の1人だった。

 

 ミョンジュ、クムヒャンを考えれば胸さく烈する痛い思い出があるんだ。

 19974月、やっと市場で経たトウモロコシ粉1キログラムと油1さじを買って草粥にも油何滴か落とし込んで入れておいしく食べさせてみるつもりに急いで荷物に戻って燃料を入れて火をつけるのに三才クムヒャンがそのざらざらなトウモロコシ粉をワラビのような手で我を忘れて口にちょうど無造作に入れるのをみて、一人で台所に座り込んで土地を打ちながらケンケン泣いた思いが今日もこの胸を痛く煮るようで流れる涙を抑制できないだろう。

 

 その土地に生きる民が何か罪があるので2300万百姓がそれほど困難にあわなければならなくて家庭が散って、割れるべきで、さまよって飢えて死ぬべきで、他国で保護も受けられず隠れて住まなければならなくて追われて生きなければならず、手錠をされて北朝鮮に送還されなければならず、豆満江水でゆすいで出ることができなくて死んで生計のために国境を越えたという罪でない罪を着せられ、'銃に殴り殺されて監獄でむちで打たれて死に、物でない物として売られなければならず、理由も知らないまま死ななければならないというのか。

 

 愛する息子、娘、君たちは私の希望であったし、私の理想であり、目標であり、私の人生の全部だった。人生の全部をまるごと奪われた私が誰を恨まなければならないか!竹物を食べながらも君たちといっしょにある時がうれしくて幸せな時であり今日も私を笑って泣くようにするのが他でもない君たちだ。寝床でも両側に横になれば寝つく時までお母さんの顔を自分のそばに回しておこうと“お母さん私の側で横になってお母さん内側に顔回して”とシルゲンイジルした君たちのワラビ同じ軟らかい手助けが今でも生き生き感じて熱い・・.・涙をとめどなく流している。

 

 ミョンジュのお父さん、私を待つと約束しておいて苦しくて困難でももう少し耐えてくれることです。なぜそのように早く行かれましたか。

 

 クムヒャン、君を最後まで守ってあげることも出来ないこのお母さんを恨んで私のそばを永遠に去りつつ目も閉じられなかった君を思いながら遠い将来霊魂が会えて上手にしてあげたい心情を入れて許しを請う。おいしいおかずが整えられても君たちを思い、君たちの同じ年頃子供たちを見れば走って行って確認してみては喉がつまって涙を流れたりする。君たちが着やすい服を見ても、良い童話の本とTVで漫画を見ても君たち思いで嗚咽をさく烈させる時がそのいくらなのか-

 

 ミョンジュ、君でも頼むから生き残ってくれ、何日前にも難しく北朝鮮に連結して君の行所を探してみたが無駄骨であった。しかし、運勢相談を受けた恩師牧師様は近い春の日に君に会うという、希望的な予言をしたよ。

 

 愛する私の息子、腹をすかし、寒さに震えながら.大変で苦しくても必ず生き残ってこのお母さんを訪ねてくることを待つ人々が如何に多いのか分かるか、君のために祈る人もまた如何に多いのか分かるか、君が生きて私を訪ねてきたらこのお母さんは肉体の一切れまでも君を大切にして捧げることでありその土地で成し遂げられなかったすべての理想と抱負を実現するように一生を捧げるつもりです。

 

 私たちの母子の対面が一時急いでな成されることを願いながらこれくらいで書こうと思う。会う時まで安寧に元気でいて。私の愛する息子・・・


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