<第30の手紙>
お母さんと愛する実家族たちを探して
キム・スンウク
愛するお母様!こんにちは。
そしてお兄さんとおい(めい)らそして二つとない私の息子ソンイル!
その間元気だったか?どれくらい苦労しています。
苦労のうち最も佗びしい苦労は食べることができない苦労なのにその苦労を打ち勝っていますか?そして愛するお母様!腹が蹴って飢えられて見ることができないお母様、今、このペンを持った娘はお母様が生存にいらっしゃるかという考えで胸を揉みながらこの文を上げます。
1999年離別江、豆満江を越えて40才に越えたその年齢すぎてもう50を越えて頭白い女性があなたに似たお母さんの姿が懐かしい。
愛する私のお母様!85才越える高齢に飢えた腸抱き寄せてジャガイモにワカメを入れて裏面数を入れた国をさわやかに召し上がりたくてしたお母様!この娘を許して下さい!お母様その願いも解いて申し上げることも出来ない罪,許して下さい。
粥も腹を満たす道なくて空腹で曲げてすみに横になって住んでおられたが生きた生活でない地獄のようなところ,オンドルの床も敷くことができなくてセメント底チャディ饌房,食べ物もなくて覆うトゥレギ内ではゴキブリ,南京虫がうようよし、服も石鹸がなくて洗うことができなくてこれと虫がうようよするその中でどのようにお住まいですか?
お母様!血の涙出ます。私,この娘だけが良い世の中良い家に米の飯に食べたいものを一人で食べながらこれが私の首に越えて行きましょうか、食べることができなくて草明かしに行こうとしても元気がなくて草も食べることができなくて家族全員がぷっくりとはれてその多くの家族らが死んでちりぢりに別れて・・・水一杯飲みながらやっとしっかりして食べたい食べ物食べてみることができなて病院の門の前も行ってみられないまま死んだ兄さん,死んだ弟(妹),私の娘ウンジュ。私たちの家族の種種子も残さないではき捨てる呪われた国は北朝鮮政権しかないです。また住みたくて八十高齢お母さんに“生きたいよママ!私はパン一切れ食べたい”と話していた兄さん・・・死んでもその前に遊ぶモチ3切れもなかったその時だった・
1999年わたしの娘ウンジュは18才花年齢に、腐ったトウモロコシ腐った豆、目に広がって広がったのを木もなくてよく沸かすこともできなくて胃腸炎で嘔吐,下痢に疲れて病院の門の前にも行けないで,約一粒食べてみることができないまま力なく永遠に寝ついた私の娘ウンジュ・・・
血一滴なしで止めさせて殺す呪いの土地,見たくないその土地に私の弟(妹)ソンウォルが死んだ自分の便り知らせようと弟(妹)霊魂がこの姉さんを呼んだようで,2003年にまた捕えられていって2002年栄養失調と下痢で九か月の間病んで中風で言語麻痺して腕と脚使うことができない廃人になってこのように住むところには死ぬのを選択するとして水一服も飲まないで自決した弟(妹)ソングウォル!大韓民国に来たあなた同じ年頃の年齢見ても君考え,死んだ私の娘ウンジュ年齢女の子子供たちを見ても娘を考え,2004に捕えられていって消息も知らない息子年を見ても胸しびれて痛いとのことです。
胸が痛くて目も見られなくて病気にかかってこのからだも疲れたそうです。
しかし頑張るでしょう。故国の土に残ったかわいそうな兄さん子供ら,弟(妹)子供ら,息子のために力いっぱい仕事をするでしょう。
お母様!お母様が私に常に言い聞かせられた言葉は''私の娘!この政治は君が話して解決されない政治であるからわけもなく主謀者とコジェンイに締めずにじっとしていなさい。一言が恐ろしくて誰も話すことができなくないか。政治論は口の外に出してはならない、死んでも値段がなしで死ななくしなさい。”おっしゃった言葉・・・.
一回目2001年捕えられて北へ送還されて行った時娘ウンジュ墓を探したが墓にトウモロコシを植えて墓をなくして胸の中に血の涙で号泣したが弟(妹)ソンウォルとソンイルがその時は私のそばにありましたよ。
草切らない墓に旧盆の日に行って''私の娘ならこのお母さん異国の土で来て行く。私の娘でなければ誰なのか知らないが、私の娘ウンジュをよく見守って下さい”あまりにも人が死んであちこちに墓を多く使ったのに木の立て札をすれば焚く木がないとみな選んで割って使うのでこういう嘆きある世の中がどこにありますか?
苦労の中で骨が固まってみな育った私の甥ミョンボク!ウンボク、君のおじさんオクビョル、ウンビョルをよく助けてやってください。苦労の中でそれでも姓名を堅持した君たちが殊勝だな。力を失わずに力いっぱい生きることを叔母は切実に期待し、望む。
お兄さん!炭鉱ウンタン職場で今日も今でも炭鉱背負子しに軟弱で病弱な体でよく召し上がることもできなくて非七大で同足木をひきに今日も行ったのかですか?
その今しがた唯一炭鉱だけが軍部に属し、配給を市場野梅価格よりもう少し供給するのを望んで、炭鉱職場に出勤しなければ炭鉱強制労働、その中から抜け出せば軍強制労働版に引っ張りに行くようになるので全てのものがごり押しですね。それもお金もなしで無報酬労働であるから…ウンボクもこの11_角張って行った時商うと強制労働鍛練対に入ったのがどれくらいくやしかったら君がさからったの?
このおばが中国土地で隠れて通ってさ迷って見たらソンイルも捕まって行き、消息も知らないでいるが人間らしく生きることができなかったので苦労されたお兄さんを一度も助けてあげることができなかったので申し訳ないだけです。
しかし今日暖かい大韓民国広いふところに抱かれて着る心配食べる心配、遠い心配なしで病気セラム無料で治療を受けています。
単独で私が孤独でないように苦しくないように笑いを与えて友人を与えて大韓民国は夏はだと変わったもの食べないように冷蔵庫洗濯機など全てのものを用意してくれています。そして家も整えられたし世の中で1番幸せです。
だが私の心の片隅に残っているお兄さんおい(めい)たち!この世の中にかわいそうに死んだ私の兄弟、子供を考えるので涙でない血の涙が流れます。そしてオクピョル、ウンビョル、君たちは水っぽいお粥物でも餌食べさせようと、君たちを生かそうとして死んだ君のお母さんを忘れてはいけない。この世の中に生まれた初日から君たちのために命捧げたお母さんのために一年に1、2度でも墓に行ってよく迎えろ。
墓が土地と平たいからなくすか恐ろしいな。墓地がとても多くできて足を踏み入れる所ないのに表示が上手にしなさい。この大きいお母さん力強く生きて君たちを助けようとする。君たちも力失わずに元気でいなさい。
私の息子ソンイル!
来ないお前を探して言葉を知らないは土地を胸むしりとりながらさ迷って1月過ぎて君が乗った古物自転車が派出所にあるのを見て調べると、君が捕えられて朝鮮に北送されて行ったということを分かった。君の生死を知らないこのお母さんは君が力強く生きていると信心を抱いて今日まで粘れたんだ。
2004年7月27日ナ間の日から今日現在空が見られない胸むしりとりながら一日に数時間行ったのか・・・神様に君を助けてくれと時をわきまえず祈祷上げて上げたの。
疲れたこの母をどれくらい恨んだでしょう!国ない百姓は喪家犬だけでもできないと異国の土でどれくらい骨身にしみたのか君も感じただろう?このお母さんも一歩遅れてみな失って分別がついても何の意味合いあるの?必ず生きているだけ望むお母さんの切実な心だ。
必ず生きなければならない、私の息子ソンイル!
50が越える私の年、お母さんを描くのは先に去って行った息子らを胸に刻まれるので単独で子供なしでさびしく行かれたお母様の姿私の姿であると今分かりました。
なつかしいお母様!お母様をまたお目にかかることができないと考えるのでこの胸が痛くて痛いです。どうかこの娘を許して下さい、幸せです。私がこれから残った余生力になります。
お兄さん、からだを世話しながら仕事をして下さい。お兄さんは我が家の柱ですよ!ミョングク!ウンボク!お母様をよく迎えろ。オクピョル!ウンビョル!君たちも熱心に生きなければならない。
私たちのお互い会うその日までからだ健康なことを心より宿願します。
異国の土南の方の土で娘が申し上げます。
姑母・叔母が送る。ソンイル!お母さんが送る、健康で幸福であることを切実に祈ります。さようなら。
2007年06月16日
スンウク拝