<第13の手紙>

愛する娘ヨンヒに

ムン・ビョンエ

 

 歳月は薄情にもすべての思い出をそっくりそのまま埋めておいたお母さん自らの軌道について変わりなしにゆうゆうと流れているんだな。

 その軌道の上におまえと私が別れたのもすでに5年歳月が過ぎた

 その間愛する君の家族そして親戚、友人ら皆元気なのか・・・抗生剤注射でやっと健康を維持した病気はちょっと車道があるか….

 先祖様の墓地をよく世話しているのか…知りたくて、会いたくて懐かしい心情をなだめようと伝えられるかもしれない私の心を伝えようとペンをとった。

 考えるだけでもぞっとする現実が続いている北朝鮮社会の矛盾と葛藤が日が進むにつれて増す状況で生きていくということは憂いと心配でずっと人生道に挑戦するのと何が違うの?その恥辱らしい生活をこれ以上延長することができなくて涙流しながら死にそうなのか生きるのか知らない、この恐ろしい道を死線を破りながら豆満江を渡って中国、モンゴルの鉄条網を突き抜けて夢の中でそして描いた自由の土地大韓民国を訪ねてきたのもすでに2年歳月が流れた。

 70高齢になったこの老人が韓国土地に何の助けも与えない招かざる客なのに有難い大韓民国はあたたかくハン品に抱いてくれたし取るに足りない私に政府ではソウルに家も用意してやって定着金と月生計費まで支援を受けながら生活の隅々ごとにあたたかく見守る有難い方々に常に感謝の気持ち、感謝一つの心を抱いてうまく定着して安定した生活をしている。

 しかしこういう幸福を君といや、北の方の同胞らと分けられずにいるのが一番胸が痛いことであり残念なことだね。

 おいしい食べ物を入れてもまた可愛い衣服ができる時ごとに過去の追憶でもがくのだ。

 目に入れても痛いことでをしない可愛い子この孫娘に草粥でなければコチャン餅以外に与えることができなかった涙ぐましい食卓食べ物であり、肉を求めて不平を働かせた二才になった孫娘の姿、豚食べさせる草を食べておいてその中に人餌ないかといって選んで選んだ君の姿が浮び上がる時ごとに食事用の匙入るのがあまりにも申し訳ないんだ。

 時には明るい電灯の下でテレビジョンを見る時ごとにいつか君が30里道を歩いて行き、やっと得てきた韓国ドラマ カセットを置いて今か今かだけを待ちながら夜を明かした日が思い出す。そんなことが一、二回ではなかっただろう。

 夜昼なしで暑い湯冷たい水がざあざあとあふれ出る時ごとに水道水を送ってくれなくて川の水をすくって食べた去る三月が浮び上がって確実私が生きてきた過ぎた歳月は地獄であり今日の私の人生は地上天国であることを痛感してまた痛感するようになる。

 世界を見ることができなくて知らなく閉じておいた社会で井戸の中のカエルが一歩遅れてやっと悟って飛び出て世界を知るようになったし学校ごとに実験用でコンピュータを12台を置いても電気がなくて絵にだけ説明して習ったそのコンピュータをこの老人が学院で習う学生になるとは夢には入るつもりでもしたの?

 愛する娘!お母さんは今は死んでも心残りがないが世の中が君に近付くその日のために堂々とがんじょうに住もうとする。

 君がそれほど着たくて羨んだジャケットを金糸、銀糸打ち込んだ毛糸で一結び目、あるコーナーを懐かしがりながら夜街はひも知らずに心を込めて浮かび上がって三、四万でない親戚、友人らにもプレゼントしようときちんと用意しておりこの贈り物が君の手に届く出るほど待ちつつ生きていくだろう。

 他人のことは見ることも聞くことも話すこともやめながら、ただ金日成、金正日意思のまま仕事をし、生活しながら軍力の不断一通制の中で生きた私の去る40余年教師生活が本当に鉄条網がない監獄と同じ地獄だといったのを私としてより一層はっきり悟っている。

 

 一日も早く不幸の毎日らを幸せな毎日らに変えなければならない義務が私たちにある。

 一つになった祖国、一つになった強豪を成し遂げて行くその日のためにおまえと私、私たち皆が一つの心で統一の同じ道で献身して生きていくことでありその時までぜひからだ元気なことを望む。

 北朝鮮社会のその真相は遠くなくて崩壊するだろう。トリックにも限界があるものであるから統一されるその日まで力強く生きなければならない。

 力強くてがんじょうに生きていくことをお願いしてまたお願いする。

 統一されるその日までぜひからだ元気なことを祈りながらお母さんは惜しいペンを置く。

 ぜひ安らかに元気にしなさい!愛する娘

2007624

ソウルでお母さんから


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