<第38の手紙>

いつもなつかしいクムソンに

ヒョン・チョルジョン  

 

 クムソン、その間元気だったか?腹がへった一日一日をなだめるのにどれくらい苦労が多いの。情が多い君のご両親は無事に過ごしておられるか…君と別れたのも今は2年が越えたんだなあ。私は今14才になった。

 

 クムソン、クムソン、あまりにも会いたかったのにこのようにでも呼んでみるので気が晴れる。

 

 友人よ、私は今北朝鮮からそのように嫌う南朝鮮に来ている。君は驚くだろうが私はあまりにもうれしい日々だけ送っていて。北朝鮮で私たちが習った南朝鮮は倒れていく貧しい村が多くて子供たちが靴磨きとガム商売でやっと延命していく土地だったよ。ところがクムソン、南朝鮮は天国なんだよ。

 私たちの同じ年頃友人らは靴磨きとガム売りどころかコンピュータを学び色々な塾に通うのに毎日毎時間忙しいんだ。

 ここでは私の思い通りお母さんにサッカーもして菓子、アメも食べられるんだ。クムソン、北朝鮮にある時私たちは家庭で砂糖に食酢を混ぜて作ったアメが最高だったがそんなこともなくてどれくらい羨んで食べたかったか。とても食べたくてお母さんに砂糖買ってくれとせがんだその時期が思い出される。それではお母さんは胸が痛くて泣いたね・・・息子にアメ1つ思い通り買えないのが恨めしくて…

 

 クムソン、思い出せるの?十才の時話だ。君のお母さんとうちの母さんとリヤカーを引っ張って山に行った時それを後からよくおすことができないと母親たちが私たちに腹を立てたりされたところで、私たちは乳飲んだ力までみな出して押したのにお母さんたちは、私たちの力の限界を感じることができなかったのか…

 そしてあまりにもお腹がすいていて生のジャガイモを食べたこと…それがどれくらいおいしかったのか・・・

 支配人をしたギョンジュン家のキムチを食べたかった考えも出るんだな、トウガラシ粉名とニンニクを入れたそのキムチがどれくらい食べたかったのか・・・

 

 クムソン、今私は世の中天国でうらやましいことなしで過ごす。毎日米の飯と豚肉は食べたくないほどだ。どれくらい背が高くなったのか分からない。韓国にきて2年間40センチメートルが増えた。君はまだよく食べることができなくて背が高くなかっただろう、どれくらいお腹がすいているの。

 

 クムソン、私はここソウルで学校に通うのに先生が私をどれくらいかわいがってくれるかも知らなくて。私が知らないセラ悟って下さって友人らとどれくらいよく対してくれるのか本当におもしろい日々を送る。2004年に北朝鮮を去って中国に、ベトナムにくる時までしても私はこういうものを想像もできなかった。大韓民国に8月に到着してハナ院を経て現在は高級アパートで、ないものがなく良く暮らしている。

 

 クムソン、今北朝鮮では水害が出たというが雨が降れば水が漏れる君の家は無事なの?台所で雨水が入ってきてうつわを浮かんでおいて船遊びをしたその時が思い出される。傘もなくて長靴もなくて雨にぬれてパチンとくっついた服を着て泥水道を歩いて学校に行った君の姿が鮮やかに目に浮かぶ。

 

 クムソン、私たちが会う日は統一されるまさにその日だ。我々、もっと熱心に勉強して統一を操り上げるのに一役買おう。統一される日、砂糖と菓子とたくさん持って君の所に走って行くことが、トウガラシ粉がたっぷり混ざったキムチも持ってね。

 

 クムソン、あまりにも会いたい。

 いつならば会えるか・・・その日が果たして来でもするか・・・

 また会うその日までぜひ元気なことを心より望む。

 アンニョン

友人チョルジョン


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