<第27の手紙>

夢にもなつかしい姉さんに

カン・スックム

 

 姉さん!その間どのようにお過ごしでいますか?

 しばらく少しの間行ってくると家を出たがこのように遠くて長い別れになるとは誰が想像でもしました。

 

 いつも印象良い姉の夫、そして可愛いおい(めい)ら皆元気な'いつも信頼できるうちの兄、兄さんは軍隊で除隊されて故郷にきて職場生活をするんですって?本当にとてもとても会いたいです。私を愛して下さった叔母、叔母は今はあまりにも老いられただろうねどのように過ごしていらっしゃるのかこのように暑い日痛くないか、私が故郷を離れたのも8年という歳月が流れています。姉さんに触れることはできないがこのように心の手紙を書いています。

 

 幼くてお母さんを失った私たちの兄弟の愛は特別でした。お母さんが生きておられる時家族の愛を一人占めする末っ子と母が帰った後にもいつも私に気を遣ってくれた姉さん兄さんらの愛を今でも大事に保管しています。姉さん、今でも記憶に鮮やかなのはお姉さんと2人で黄海道で、茂山であり商売通った日、油揚げ作って市場に行って売った仕事が今でも忘れられないです。二人で共に商売通うときはいつも重い荷物は姉さん一人でみな持って私は空の体でついて行きながらもぶつぶつ言った日、30里の道を歩いて弁当持って行った日、今姉さんに会えば十二晩が明けるように追憶してもすべてできないようです。

 

 昼間や夜でもいつも姉さん、兄さんに会えるかといいながら、夢を計画して生きています。可愛い私たちのおい(めい)らとともにおいしいものもいっしょに食べながら幸せな時間を送れるだろうか?する考えを打ってしまえないです。そして私たちの友人ら、ヘヨン、チュンボク、ミスク、ウンスク、ヒョンヒ皆とても会いたいです。私がいなくてなってもいまだに我が家によく遊びにくるのか・・・

 友人たちも会えて思いきり泣いて笑いながら思い出の時間を送ったら果たしてその日が来るでしょうか?

 

 TVで南北離散家族対面が出てくる時ごとにいつ私もあのように思いきり泣いて笑いながら会えるかという想像をしたりします。

 夏にはすがすがしくて冬には暖かい地下鉄に乗れば姉さんといっしょに、かろうじて汽車に乗って黄海道商売行った考えかと、おいしいもの食べればおい(めい)ら思い出して'楽しい海旅行に行けば友人ら思い出して、少しの間も故郷考えが頭から去りません。

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 とてもなつかしい考えに追われて私の話は一つもできませんでしたね。今、私の姿、気になるのでしょう?私は今ソウルで住んでいます。ソウル生活、北朝鮮で住んできた私には天国なんです。もちろん金持ちらに比べればなんということもないですが、麻おきれば出勤し、夕方になれば退勤し、週末になれば休み、しながらそのまま平凡に暮らしています。

 

 私がここにくる時にはお金たくさん儲けて故郷に行く時私が住んでいた私たちの町内にビルディング一つたてて姉さんにもあげ、兄さんにもあげてしながら、そうしようとしたんですけれど。ホホ…考えのように金を儲けやすくないね。そのまま努力だけしている最中よ。

 

 私は夜に寝ることを寝ても姉さん、兄さんそして友人らに会う、そんな夢しか見ません。いつならば会えましょうか?そのような日が必ずきたらいいですね。夜に月が浮かび上がれば月見ながら考えて、雨が降れば雨が降る窓の外をながめながら考えています。ところが私の心配はとてもしないで下さい。私なりにここで熱心に良く暮らしています。ここには私たちのような人々を助ける良い人々が多いですね。互いに寄り添って助けながら住んでいます。

 

 姉さんに書く手紙と考えるのでペンを置きたくないです。だが文では私の心みな伝えることができない。

 

 姉さん!今日はこれくらいにして、手紙終わらせますね。

 ぜひ勇気失うことなく、私たち会う日まで姉さん、兄さん、おい(めい)ら皆必ず生きていてこの弟(妹)に、顔だけ見せることができるならばとてもとても有難いと思いますね。

 それではアンニョン

2004 8.5.

ソウルで弟(妹)拝


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