<第11の手紙>

夢の中でも忘れない愛する娘クムスンに

シン・ギシク

 

クムスン!

呼んで呼んでも返事ない君に今日だけはどうしたことかより一層呼んでみたい心いきなり沸き上がるんだな!歳月は流れて惹かれて君と別れて血の涙を飲み込みながら受け継いできた毎日もそのいくらなのか記憶をまた探ってみてこそ思い出すんだな。

 

今も忘れることのできない君との離別の瞬間を考えれば涙弛緩を遮って大声で泣いてまた泣いてもお父さん心にわだかまりが出来たあまりにもくやしくて悔しさだけ込みあがるんだな。

私が家を出たその日夜君は深い眠りに寝ついていたところだった!私は君のやつれていた顔をしばらくでもぼんやり見下ろしても起こすことができなくて家を出た。その時私が寝ついた君を起こしてもその何でも広い慰労してあげてなだめてくれる甘い一言も言ってやることができなかったのがお父さんの残念な心情だった。

お父さんが離れる道が君との最後の離別の瞬間になることを知りながらも家を出る最後の瞬間さえ君に一言さえ残せないまま離れるお父さんの心人どれくらい痛んで痛かったのか・・・

山川草木でも災い答えてくれればどれくらい有難いが、その誰にもこの痛い理由訴える方法なかったのでより一層胸が張り裂けそうなように痛くてきたんだ!

 

その日夜私は出入り口を開いてもしばらくや取っ手を置けないまま席を浮かび上がれなかった。なぜそうしたんだよ、もう私が家を出れば永遠にまた戻ることのできない約束ないところであったから・・・

私は落ちない足取りを一歩、一歩移してつきながら声ないなくことを飲み込んでまた飲み込んだ。

一歩移しておいてはまた後戻りをして。頭髪自国を移しておいてもまた後ろを振り返りながらまた戻れないこの瞬間を記憶の中に残して永遠に大事に保管しようとするように迷いながら、立ち止まっていながら均衡も失ったままふらつきながら暗いということを探ってみながら重い足取りを移った。

 

列車にのぼっても君の姿が目の前にちらついて涙で前が見えなくて走る車窓の外で一瞬一瞬かすめて過ぎるなじんだ村と通りもしきりに視野で遠ざかるのがあまりにも薄情で無情なだけした。

いったい何が禍根になって私たちの家庭をこの有り様に分けてお互いの胸を血苦境に追い込むといった話か?座って死ぬか、そうでなければ戦って死ぬかという生死の分け目でもあった。

 

お父さんが選択したこのように難しい決心は数えきれない程多くの挫折と動揺、煩悶のうず巻きの中で得た極端の処方だった。しかし実地行動で移すということは話のように容易なことではなかった。その中でも慎重に処理しなければならない対象はある釜のご飯を暮らす家庭があった。

家庭まで分けて散って生きながら苦痛を甘受するのは普通のことではなかった。その上君はすでに出家一体であったから、それもまた他の連鎖反応を起こすこともできた。これは慎重な問題でもした。行動に先立ち互いにこんがらかって入り乱れた問題も一つや二つではなかった。決心は採択された以上これ以上遅滞することもできなかった。大変なことのためには必要により小さいことも犠牲にしなければならなかった。

このようになって結局君は私たちと共に行動に合流できなかった・さらに臨月になった君を残して発つお父さんの心情人オジュカリョン万、離れなければならない残念な心情もまた胸がさらに敗れる状況だった。飢えても共に飢えて、死んでも共に死のうといつもいっしょに取り除いて生きてきた私たちの家庭にこのように途方もない不幸が差しせまってくるとは誰が夢にも考えでもしてみたの?

経済は破綻して商店はからから空いていて人民は食糧を供給を受けることができなくて飢えていきつつあるので、このあきれた現実の前に人民は失望して絶望の涙を惹かれていてもこれを責任をとり解かなければならない国家まで対応できないから、人民は何を望んで勇気を出して仕事が出来るというのか?誰を恨んでも責任を負うべき人もなくて、難局を直接解く当事者も無視した以上これ以上座って漫歩とありえないのが厳然な現実だった。

 

今になって私がいくら君に弁解しても何の意味合いがあっても歳月が流れるほど君に対するお父さんの罪悪感はより一層大きくなることだけ同じだな君は私たちの子供ら中でもお父さんの愛をも引き受けて受けて抱いて育った私の可愛い娘だ。君は私たちの家庭で長女で、一人娘で十才の時までは一粒で育った貴童娘だった。

その後で弟(妹)らが二人も生まれたので君に対する両親の愛と愛着が独自の大きいのも当然なことでもあった。しかしこのような両親の子供に対する愛は同じ血統を続く母娘間にありえる道徳的義理感の自然な表出でもある。こういう道徳的義理感を両親が守ることができない時には両親として本来の役割をつくしたと話すことができなくて子供らの前に面目がなくて激しい場合には子供から敬遠されて背信まで生じることがある。

直ちにこういうものを明らかに分かりながらも難しい決心を選択した心情を理解することを望む。結局私たちの婦女間の生き別れはお互いに骨痛い傷だけ残しておいた。百回謝罪して許しを乞うだけだ。おそらくお父さんに対する君の願望もこれくらいにして私だけ大きくないだろうと考える。

百回千度置いて置いて恨んでも私はいうべき言葉が一つもない。誰も知らないうちにこっそり消えたお父さんをおいて何の願望人できないの?みな受け入れて中最下をだけだ。

 

今でも時々君を考えるときは君にモッタヘジュン愛が胸に固まって熱い涙がのどを敵買ったりする。

今お父さんは斜線の峠を数えきれない程越えて越えてついに自由のふところに抱かれるようになった。

お父さんが選択したこの道は重労働の難しい苦難の道だったが、正しい道であり自由は決して座って自ずから整えられるのではなく闘争で勝ち取らなければならないという真理を実地体験を通して得ることができた。

 

私は今でも時々君を考える時ごとに離れた日夜寝ついた君の姿が目の前にありありと浮び上がる。今はその時から多くの歳月が流れたので君の姿も見違えるように変わっただろうと考える。

君も今は子供を育てるお母さんとして、ある家庭の暮らしを責任を負った主婦としてしなければならない負担もまた少なくないだろうと考える。しかし君はこの困難も誰よりさらに賢くかき分けて行くだろうとお父さんは堅く信じている。

もうお父さんが望むのがいるならば可愛い孫らをただ一度だけでも抱いてみたいのが切実な希望だ。描くことができないのが残念なだけだ。

 

今、南と北は20006.15共同宣言により和解と協力のきずなが深くなっていりながら同じ民族ながらも互いに相反する理念と思想で敵対視していた古い遺物をはやく投げ捨てて統一の余命を操り上げるために南と北が互いに心と心をパッと開けておいて手を握って進んでいる。

もちろん今でも君は経済的困難の中で苦労して生きているだろうと考える。それでもぶつかった現実の前に捕虜になって悲観したり失望せずに私たちの代には必ず統一大業が成就するだろうという確信を持ってより一層強く生きていくことを望む。

君は決して孤独でなくて君のそばには向上お父さんが見守っており必要な時にはいつの時や君を助ける万全の準備を備えているので希望に満ちた明日をながめながら変わりなしに屈せずに生きていくことを望むだけだ。

どうか元気で子供たちをよく育てるように願う。

2004819

お父さん シン・ギシクから。


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