<第29の手紙>

故郷にいらっしゃる尊敬する兄さんとお兄さんを探して

ハン・ソンオク  

 

 なつかしい兄さんとお兄さん!その間お元気でしたか?

 

 今日も相変らず農村で生計のために腰のベルトをきつくしめながら子供のために生涯を土に埋められて住みながら熱心に仕事をしておられる兄さんと兄様におよそ10年ぶりに初めて文案ごあいさつします。なつかしい兄さんとお兄さん!会いたい私の親姉さん、愛する私の弟(妹)ら、私のおい(めい)たち、一家親戚ら、故郷の本当に多くの人たち一時も忘れたことありません。

 

 北清で農民の娘に生れ、出身成分を変えて30才年齢に羅津に嫁入りする時良いところであるから良く暮らして行けと祝って下さったうちの兄とお兄さん、私の弟(妹)らをどうして忘れるんですか。

 

 北では農民子供は無条件農村の人と結婚しなければならないという金日成の指示によって多くの農村女の子らは都市に嫁入りすることができなくて大部分農村に嫁入りする現実でもそれでも私は運が良くて羅津チョンガーに会って出身成分も変えて羅津では新婚生活して夫よってさらに天国の大韓民国、ソウルで世の中に羨むものなしで幸せに暮らしているがいつも衣食住のためにさまよう北にいらっしゃる兄さんとお兄さん、姉さん、弟(妹)のために心がいつも穏やかでありません。腹がへることはどのようにして欠くか、病気にかかられなかったのか服はどのように求めて着るのか・・・またマキは・・・本当にそのどの一つも豊富でない北朝鮮現実なので悪夢をみることが12度ではありません。

 

 兄さん!本当にこの間中国でなくした私たちの末娘も4月中旬に韓国に来ました。先に離れたご両親を探しに中国丹東飛行場から韓国行飛行機に乗ろうとしたが捕えられた6才幼いキョンヒャンが、2才の幼い年齢にお母さんの背中におんぶされて住んで(故郷も知らずに、北朝鮮生活も知らず・・。)中国子供で作って教育させた娘が北朝鮮、新義州で北へ送還されて孤児院養子縁組も何度、色々な苦労をみなして、ほとんど探すようになってついに満5年ぶりにまたご両親のふところに抱かれました。

 その幼い娘が故郷も、伯父の名前も、誰も知らない北朝鮮に引きずられて行ってどれくらい泣いてどれくらい腹がへることにあうかという考えに惹かれて流した涙そのいくらかわかりませんよ。神様の愛と世話があったからなのか新義州か咸興に、清津に、故郷羅津まで道端の砂利のように転げまわりながら苦労苦労したことをやっと探して大韓民国に連れてくるようになりました。

 もう私たち家族はみな集まって昔話しながら良く暮らして行こうとします。可愛い私たち2人の姫らは舞踊家のように蝶々のように、ハチのように踊って歌を歌いながら良く寝ろといっており学校で勉強もがんばっています。

 

 尊敬する兄さんとお兄さん!去るいくつかの十年の間早く帰ったご両親代ってうちの弟(妹)らを育てて結婚上も整えてあげて暮らしすることができるように見守って下さった兄さんとお兄さんのその愛を忘れないでいます。愛する弟ムンス結婚式の時には北に住んだのに訪ねることができなくてまた中国でヨンスが結婚するという便りを聞いても探せないこの妹、今は南北に分かれた韓国で住むので私たちの兄弟いつも残った果たしていつの日でしょうか?今はおい(めい)らもおとなになって結婚をしたことでまた新しくたくさん燃やして出ても名前も顔も知らないから世界にこういうことがどこにありますか。どの道で会ってもお互いを知ってみられないこの現実どうして私たちある家庭だけの不幸だけでしょうか?

 青空に飛ぶあの鳥は自由に南北を行き来しながら愛を邪魔するが私たちは書信一枚、安否さえやりとりすることができないから分断の悲劇をそのどこに訴えますか?毎年秋旧盆が訪ねてくれば故郷へ走る心、ご両親墓を訪ねることができない残念なこの境遇を兄さんやお兄さん弟(妹)と姉さんもよくご存知であることです。

 

 兄さん!兄弟方々!悪口よくして下さい。そして理解して下さい。訪ねて行くことができないこの心を・・・私たち七兄弟姉妹を育てられながら苦労だけして早く亡くなったご両親に親孝行一度して申し上げることも出来ないこの心を・・・

 両親の代わりをして長男、長男の嫁として私たちの兄弟らの顔に憂いがないようにあたたかく見守って下さった兄さんとお兄さんのその愛をその時はそこまで知らなかったが歳月が流れた今にきては感じています。

 

 50の中盤になった兄さんとお兄さん、弟(妹)らに会ってみるその日は果たしていつでしょうか?ヒューヒュー垂れたヤナギの下すがすがしく流れる北清南大川清い水、その水に足を漬けたその時、山にある階段果樹園に果物がチュロンジで文化住宅らが並んでいるように立ち並んで原野には黄金落ち穂が波打つ私の故郷をたびたび描いてみます。ここソウルはとても美しくてうっとりし、高層アパート、文化休息空間、遊園地、遊び公園もとても良いが兄弟の方が住む故郷の郷愁に浸る時が時々あります。

 

 愛する私の兄さん、お兄さん、この間私たちのボムヒャン父が大企業に入社しました。契約職で何年は仕事をしていたが今は堂々とした大企業会社員として仕事をするのでどれくらいうれしいのか分からない。日に発展する韓国に定着して良く暮らそうとするなら行く道が遠くてすることも本当に多いです。しかし私たちが熱心に韓国方々と肩競って仕事をすれば成功は必ず形成されることですね。。

 

 兄さん!会うその日素敵な姿で、成功した姿で必ず探してお会いします。愛する私たちの娘らとともに-兄さんもお兄さんも大変な暮らしだが頑張ってぜひ健康で会うその日まで熱心に生きて住んで下さい。統一は夢以外のことでありませんね。遠くなくて統一は必ずやなされなくてはならないことであり、私たち会うその日まで力強く住んで下さい。必ず生きて下さい。その時たずねようとします。

2006623

ソウルで弟(妹)拝


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