<第12の手紙>

息子に

12番目の話

ミョン・クムオク

 

 今はどこで何をしているのか・・・

 息子と、送ることができない手紙であると翻然と知りながらも今日お母さんはしびれた胸を抱き合って1文字2文字この文を書いているるんだな。風が勢に満ちた東北の土で鉄鎖に縛られて中国公安に捕えられる君の最後の姿を見てから今はいつのまにか5年、短くないこの期間お母さんは独裁の足かかとの下に枯れて行く君を胸に刻まれて涙とため息の中に肝臓を煮つめながら死ぬことができなくて生きてきたんだなあ。

 目だけ閉じれば三三浮び上がる骨の外に残らなかった君の姿ふところに抱いている時は竹物をしぼり取っても毎日毎時各君の顔を見ることあってそれがそのお母さん笑いがトェゴサムの喜悦になって生きるということが幸福だったお母さんであった。大きくなった野郎が外に出て行ってパン一個でもできればそれを食べないでポケットに入れてきては“さあ、お母さん、人間らしく一度食べてみましょう。”とにこにこ笑いながらこの母の口に入れてくれる時私はその一瞬にしてマン憂いみな忘れてしまい幸福に抑えがたくてパンでなく愛をかんでいた。お母さんに捧げる君の愛は廃虚の中でも変わることがなかったしこうした息子をふところに抱いているお母さんの胸には、いつも幸福だけがぎっしり埋まっただろう。

 

 しかし、世の中は私たちの母子のその素朴な幸福まで守ってくれなかった。近距離ながらも行くことができなくて通り底で飢えにさ迷っている君の惨状を明らかに分かりながらも仕方ないこの閻魔の残念に思う心-あの空に対しそのいくら叫んでも認められるこのなくてむなしい叫ぶことだけが一を抱いた霊魂のように私の痩せた胸を抱き合って抜け出すことができない奈落にしきりに率いて行くんだな。

 

 ア、ヨンイ、愛する私の息子、自由の根拠地真中でいっぱい積もった豊かな人生を享有して住みながらもアメ一粒君の口に入れてあげることができないこのお母さんを頼むから許してくれ。食べるご飯が砂粒のようで寝床が針座布団同じでそわそわメプトリチョはこのお母さんの生は、言葉そのまま恨と絶叫の連続のようだな。

 お母さんは今日あまりにも君が懐かしくて政府で渡したお金100万ウォンをふところに抱いてここに統一の橋がある臨津閣に出てきた。離散の一を抱いては死んでも目をとじることができないので二つの目を大きく見開いてまだ愛する血縁の霊魂を探して呼ぶ不遇な運命らのわだかまりができたこちら統一の橋でこの母も胸に刻まれた愛する息子の名前を呼び、また呼んでみる。

 

 ヨンイや!君今どこにいるか?そして百万ウォンのその金を怨恨のせて流れる臨津江の波の上に両手集めてばら撒いてみる。いくらそうしてもこのお母さんの心にわだかまりが出来た恨はどうして溶けるのか、息子に向かったお母さんの切実な願いを入れて向かったことであるから・・・

 

 息子よ!

 ぜひ元気でいつかはなされる統一のその日が母の前に現れて裂けるとおり裂けたお母さんの胸を君の温かい手で撫でておくれ。今日も明日も続くお母さんの手紙、民族分断の悲劇的現実の中で送れない手紙を一枚二枚積めばもうそれが山を成していつかは暴風のようにさく烈するたつ巻にのせられて、懐かしくて会いたい私の息子に走って行って君をのせてまたこの母に戻るだろう。

 その時私の一生に積もった血の涙を臨津江青い水にパラパラと洗ってしまい君といっしょに自由民主の広い中で世の中幸福を満喫するでしょう。そして君とともに世の中に対し大声を張り上げるだろう-多事は、分かれなくしよう…再びこのような悲劇を繰り返さなくしよう-その日を涙の中に描いてみる。夢中例繰り広げてみる。これは必ず実現されなければならない私たちの民族の至上の課題だ。その日まで無事だよ。そして強く生きてくれ。希望を抱いて確実な未来を見通して生きる人生はいつも強いものだ。

 

 息子よ!君も分かるだろう。

 そのいくら闇は息が詰まるように濃厚で息苦しても明るくなる黎明後に痕跡さえ残さないでどこかに消えて行くその位置を・・・お母さんはおまえを永遠にもう一度私の胸に抱いてみる。そしてそのどんな力も分けられない血縁の愛を幼い時君の枕元で歌った子守歌のように喜びを抱いてしまった憂い忘れた姿で静かに呼んでみる。ぜひ体に気をつけてくれ。希望を失わないでくれ。

お前を愛する母より

2006815日記す


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