<第39の手紙>

会いたい私の友人ヘリョンに

 

 耐えられないほどなつかしいヘリョン!その間元気だった?

 可愛い子ヒョンギョン、ヒョンイルは相変らずその細い手首、やせた体格で無事に過ごしているか・・・常に信頼と支持で遊ぶことのなかったあなたの夫はやはりうまく健康を維持しているか・・・

 もしかしたら病気でもかかってものすごい薬代までが生活苦に襲いかかって君の肩がさらに重いのではないか…

 今日、ふっと手紙書く機会ができてとりとめなくペンをとった。

 話せない理由の悲しみと痛み、胸襟をさらけ出しながら恨みが多い不満と呪いを吐露したその時が思い出される。しかし、手を握って見ろといったようにこの生きていったそちらでの無情歳月を残忍に後にして君と別れたのもいつのまにか6年という短くない長い時間を送ったんだなあその期間の間私はただ一時も君との時間らを忘れたことがないんだ。

 

 私たち二人とも高等学校卒業当時、成分不良家族に烙印を押されて学校的には指折り数えられる上位圏実力者に入れたのに大学推薦を受けることができなかったし、代わりに誰もいないところで互いに抱いて涙を流さなくてはならなかった。

 

 私が社会生活5年ぶりに推薦された大学入学を誰より喜んでくれながら寄宿舎生活腹がへるかと思って炒めたトウモロコシを小包で送ったし、休みになって家に行けば中国の親戚が家に来られた時特別に私のために別に買っておいた下着らと所持品まで抱いて一番最初に私に駆け付けた日・・・うちのお母さん一人でおられながら一つ残った娘の嫁に行く準備のために数年前から一分、二分集めて用意されたふとんなどをはじめとする財産らをみな盗まれてあまりにも痛く感じられる時5号管理所収買員として名声を轟かせながら松茸領収書(それならば泥棒に遭ったこと多少回復可能だったんですよ)を持ってきて私の代わりに慰労して申し上げながら孤独なお母さんの話友達になってくれた大変有難い君!

 苦難の行軍時代には昼間には職場仕事で、夜には家に男女間の情事による疲労を設置して一晩中徹夜しながらパン焼きあげて一日1020ウォン儲けで家族の生計を維持したその難しい毎日にも私が久しぶりにきたと、うちの子らパン味ちょっと見るようにしろと市場持って出て行くパンを私に包んであげた日・・・

 ヘリョン、今はさらに難しいというのにいったいどのように生活して維持していくのか・・・顧みれば幼年時代からあまりにも有難かったし惜しい思い出らが目がしら濡らすんだな。

 

 私は、今、ある程度安着していきつつあるんだ。そちらでは成分が悪くてつらい炭鉱労働の末にやっと行くことができた大学だったけど、ここでは誰も身分とは関係なしに勉強できて、私は願いを解こうと大学院修士(博士院准博士)課程の勉強もして、今論文執筆過程中なんだよ。これにソンチァであってしなくてこちらに英才、秀才だけ勉強するという薬科大勉強を始めて、40代年齢に20代子供らとの向こう見ずな学業競争の中で人生のやりがいと私が生きる理由までいっぱいに感じながら生活しているんだ。

 

 それだけでなく環境と消費生活はさらに比べるところがないから、電気なくて水なくて一服のミネラルウォーターを得るために一日中彷徨したそちら生活考えだけすれば苦笑が自ずと出るのだ。旅行の自由があって気持ちさえ決めればそのどの一流観光地も全部行ってみることができる自由、金を儲けたければそのどこでもあの仕事この仕事区別しなくてして、またしたことだけに自分の収入がきちんと積もられる、活動能力が不足して収入がない年老いた年配の人たちに各種老人福祉が用意されて老人たちが可愛く着飾って化粧きれいにして余暇文化を楽しむ人間天国の社会だよ。

 

 子供たちは子回るだけ夏ならば海遊び、冬ならばスキー遊び、エバーランド公園遊びなどなどの遊びが大変で唇がはれるほどという。このようにそこでそのように叫んだ地上の楽園が繰り広げられていてその幸福を何の代価なしで皆が享受している、いかなる制裁と干渉がないこの良い世界を君も必ず接したらどれくらい良いだろうか・・・.

 

 一日も早く統一されて、あなたをはじめとする可憐なことこの上ないかわいそうな私たちの民族、いや全世界が指向する自由と幸福の上上峰で皆同じく物質的、人権的、霊的富裕を当然な権利と感じて生活される歓喜のその日が必ずくると確信して万病草(エゾシャクナゲ)のように強く住んで耐え抜きなさい。

 必ず忍耐心で勝ち抜くだろうと信じながら元気になるのを・・・

永遠のあなたの友人ヘシムより、ソウルから


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