<第22の手紙>愛する姉さんに

キム・ジニ

 

 いつも夢でも会いたくてまた会いたい姉さんに!

 血の涙の川。豆満江を渡っていつのまにか歳月は流水のように10年という巨大な記録を残しながら流れました。10年ならば山川も変わるというけれど本当に私の人生に数えきれない程多くて多くの痛みと血の涙、追憶を残しながらこの上なく大きい変化が生じて、夢にでもなく、前世にもいつポンも思わなかった大韓民国、いわゆる北朝鮮でいう南朝鮮に私が来ています。

 

 姉さん、信じることができないでしょう。私も信じられません。米国の奴らと傀儡たちがひしめきあっていて乞食らだけ住んでいるという南朝鮮、それが私たちが習ったのが偽りであり私たちが夢見ていた米飯に豚肉スープだけ食べて瓦の家でいや、エレベータだけ乗って通う地上の楽園の国に私が来ました。

 

 私は今大韓民国で堂々とした韓国国民になったし私の名前でなった家と定着金も受けながら、また、私がそのように苦労しながらも治療を受けることができなかった脚も今治療を受けています・

 

 大韓民国国家で国民の税金で私たちにこのようにこの上なく大きい愛と恩恵を施しています。私たちが北で受けた韓国に対する認識がどれくらい誤ったのか。

 私たちに与えた愛11年制義務教育、何の使い道ない虚偽に過ぎなくてただ私たちが目に真っ黒な眼鏡をかけて前を見ることができず世界を知らずにただ一つ金正日言葉を見習って、彼の終身奴隷に作る金正日の独裁主義教育ということを私も今や目覚めました。私がこういう話をすれば姉さんは今もびっくりしながら恐ろしくてぶるぶる震えているでしょう。そのような姉さん私は限りなく心が哀れです。姉さんだけでない、数多くの私たちの北朝鮮同胞がそのように生きなければならないみじめな現実・・・

 

 ア、いつも統一、統一がなされ、そのような寒さと空腹の中に愛する両親、兄弟、妻子を痩せても金正日将軍様ありがとうございます。金正日将軍万歳を叫んでいなければならないこの世界で最もかわいそうで、目が遠い北朝鮮の姉さんをはじめとする同胞らに会って彼らの目を開いてあげて一日も早く幸せな生活を送るようにしてくれるのかとても胸が痛いです。

 

 姉さん、私は今も10年前私が18才出た1998424日をこの目に土が入って私の血がすべて乾き、この心臓が止まり、私の小さな肉一つ一つ裂けていくとしても忘れられそうでありません。

 雨がどしゃ降りで連続降り注ぐ陰気で寒いその日、ご両親3年私を終わらせて互いに生死を気弱くなれない別れる私たちの二つの目からは血の涙が流れ、通りには人跡一つない湿っぽい道をとぼとぼ歩いていっている私と二番目姉さんを姉さんが窓ベランダから見ていたその血の涙を流していたその後ろ姿がとてもとても痛くて目に浮かんで姉さんを一人で残して離れたのを後悔また後悔すれば毎晩涙で枕を濡らしながら生きてきました。

 歳月が流れまた流れて数十年がすぎて私世の中に行くとしてもその時のその映画だけで見てきたその痛くてわびしいその瞬間を直接私としては永遠に忘れるこそ忘れることができません。たぶん姉さんも私と全く同じでしょう。体験してみることができない人々は知らないが私たちはとってもとってもその痛みをよく分かるでしょう。

 

 姉さん、姉さんはそれでも私よりは少し良いものもあります。こういうみじめな痛みを私は2回体験しました。豆満江を渡ったその翌日ぴったり1晩だけ二番目姉さんといっしょに送った言語も通じないでお金もなくて知っている人もない異国中国土地にある喪家、犬だけでも出来ないように私一人捨てられる身分になってまた再び離別という痛みを体験しました。

 98424日から29日まで私には悪夢のような時間であったし、私の人生の消せない痛みを残した時間でした。今でも私一人家にあれば思わず涙が出て一人で気が狂った人のように号泣しながら泣いています。一度体験してもとても痛いが柱のように信じた二番目姉さんとの生き別れを連続二回でも当てられた時、この世が全部崩れて敵と同じだったし生きたい考えが一つもなくて死にたいだけでした。

 

 家を去る時は3ケ月ならばお金遠くて戻ることができたのに人身売買をする人々にだまされて手首を捕まえて中国まで共にきた二番目姉さんと一日ぶりにどこにどのように行って生きているのか死んだのかも知らず、互いに生き別れさせられてしまいました。互いに小間使いのように売られたのです(囲いの下には鳳仙花が、君の姿が物悲しかった)。どうしてか私の姿がこういう姿だった。この世の中に一人で捨てられた時本当に生きなければならないという欲望が一つもありませんでした。

 

 私を育ててくれる養父母と思ってて行ったのに私より17才多くの中国朝鮮族に売られたし、その日夜とても恐ろしくて何も知らずに震えているのにそのような私を金やって買った私の夫という者が私のからだに無茶苦茶に飛びかかって私を無惨に奪い取りました。玉のように純潔だった私、男性と言葉一つもいえなくて、異性に対して爪ぐらいも知らない私、いくら助けてくれと大声を張り上げて哀願してもその誰ものぞいて見る人いない中で惨めに私は当てられたし、それさえも捕まって北朝鮮に送還されるかとどこかへ行って一言哀訴一言できなくて、その人と4年を住まなければならなかったその悪夢のような歳月・・・

 

 私は、姉さんにとても会いたくて私を捨てて一人で行ってしまった二番目姉さんも死ぬほど恨みました。その瞬間に捕まって北へ送還されて捕えられて死ぬかもしれないと、お姉さんもその人身売買者らに騙されて私と別れさせられたが、私は本当にくやしくてうらめしくて北朝鮮で姉さんと共に腹がへることに震え、余りに寒くて履き物も履いて互いにつかんで寝なければならなかったその時期がとてもなつかしく、姉さんに会いたかったです。私の人生で最も幸せだった時期が多分姉さんといっしょに生死苦楽を分けながらトウモロコシ一粒も互いに分けた時その時が最も幸せだった瞬間瞬間でした。たとえ空腹で寒いことを免れたが愛する姉さんと別れてまた他の離散家族になっていつならばまた会うか…果たして統一されてまた会う日はあるのか・・・夢でも会ってもそれだけで満足しなければならない痛い現実を体験しなければなりませんでした。

 

 生きてまた会うのか…いつ中国公安に捕えられて北へ送還されて犬死にあわなければならないのか分からないあの・・・浮き草のような現実の中でたとえ死にたかったが死んでも姉さんに会ってみることができなくてそのお母さん死ぬことができなくて私の人生の最高の目標、姉さんを探せばそで私の人生を締め切り作ろうと考えて堅く念を押しながらそのどんな困難があっても齷齪のように我慢して耐えていきました。その心がとても惨めで果てしなかったのか、でなければ私が痛い脚をしておいて一つの恥じることがなく生きながら一筋の希望でも抱いて仏様に丈夫な人々もするのが難しい108拝のお辞儀をしながら姉さんを探すようにしてくれと祈り、はやくその誠意が仏様を感動させたからなのか本当に奇跡のように別れて4年ぶりに北朝鮮での姉さんの便りを、姉さんの手紙を直接私が受けてみて、別れて9年ぶりには中国で住んでいる二番目の姉さんとの直接的な対面もなされました。二度とは会うことができないことだけ同じで、生死をわからなかった中国にある姉さんとの涙ぐましい対面、言葉ではみな表現することができなくて文ではみな書けない本当に感激の対面を感謝の対面をしました。

 私はその後二番目姉さんとの対面半年ぶりにこの自由の土地、私が努力したことぐらいよく生きていける大韓民国にくるようになりました。

 もうすぐ、二番目姉さんも韓国土地を踏むようになって今は私たちが互いに-すべてかたまって幸せに生きていく日だけ残りました。ただ一つ、私と一才差の外に出ない姉さんとは一言正しく呼ぶことができなくて、友達のように双子のようにすごした姉さんがその険悪な北朝鮮で住んでも生きている命でないその死ぬことができなくて生きていかなければならないことを考える時ごとにたとえ10年歳月多くの痛みを体験して、我慢して勝ち抜いたがそれでも私は金正日の独裁主義下で何の世の中世情を知らず、たとえ鉄杖はないが地獄と同じ国で住んでいないで脱北したことを幸福に私の人生のもう一つの大きいが大きい福と考えて感謝する心で生きています。

 

 愛する姉さん、今は二番目の姉さんも会って、姉さん一人だけその監獄世の中に残しておいて来たまた一つの胸痛みの中で常にかわいそうで姉さんが幸せなことを胸中ながら祈るほかはないことが本当に残念です。

 統一、統一、いつもオリョナ私たちをはじめとする数多くの北朝鮮の離散家族らがいつも会うか・・・

 姉さん、私は本当に姉さんがとても心配でご飯一二度うまくへ渡りません。10年前その時はただ一つ姉さんの便りを知って中国の姉さんに会えばそれで私の人生を締め切り作ろうとしたが、今はボロを着て飢える姉さんをはじめとする北朝鮮同胞らとの統一が来る彼日になる前まで屈しなく強く生きていくでしょう。

 愛する姉さん、私がここでいくら会いたくても会うことができなくて手紙一枚、消息を伝えることができないがこのように私の心の文を書いてみると一層心が軽くてすっきりします。この手紙を書きながらあまりに話すべき言葉が多くて姉さんを思いながらすごしたその痛みの過ぎた歳月を振り返りながら泣きながら、泣きながら、また泣きながら書いて書きました。

 姉さん、心優しく、この上なく清潔で純潔な姉さん。その汚くて暗い北朝鮮でどうして生きていくのか-だがもう少し我慢して、待って下さい。たとえ私一人で役に立つことはないが、それでも姉さんに送る気持ちでここ韓国で'北朝鮮同胞米買う'運動をはじめとする統一のための道に小さな力になること努力するでしょう。

 姉さん、夢きめにもなつかしい姉さん、この時までもよく我慢してよくように私たちの互いに会う対面のその日を待ってくれながら幸せにがんじょうに住んでいくことを祈りながら、また姉さんが健康夏季愛する子供を堂々と育てることを希望しながら秩序なしに使ったこのペンを置くかといいます。

 姉さんと共に白髪の生えるまで生涯いっしょにするおじさんも見たくて仕進した壮途見ることができなかったが可愛いおい(めい)も非常に会いたいです。

 ア!私の挨拶を伝えることさえできるならば…が切ない手紙がたとえ行こうというできなくても私のこの心が姉さんについて私の要人を伝えてくれるだろうと仏様に祈りながら…

さようなら。

 統一、統一いつこようとするが必ずくるでしょう。

 愛してます、姉さん.

 とても会いたいです。

 醜くて醜い一番末っ子弟(妹)ジニがこの手紙を上げますそれでは、安らかに。

 私たちがまた会うその日までからだお元気で。

2008313

弟(妹)金ジニ拝


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