<第16の手紙>
懐かしくて懐かしい私の娘ヘヨンを探して
パク・ナオク
ヘヨン,その間からだ健康に無事に過ごしているの?
歳月は薄情にもすべての思い出をそっくり埋めておいたまま時間をなだめながら流れているんだな。
その歳月の中に君と別れたのもすでに10年という歳月が過ぎ去ったんだなあその間愛する君をはじめとするお父さんと大きい家家族ら,そして母方のおじをはじめとする大きいお母さんと叔母様が、みな無事に過ごしているのか・・・
このお母さんは正式大韓民国国民として今や真の私の祖国のふところに抱かれて心配なしに金持ちの家のように計画しておいて良く暮らしているんだ。
私の愛するヘヨン、その間、体は健康にうまく過ごしていますか。
君はこのお母さんを恨んでいることをよく知っている。
そのあくどい歳月の中に置いてきた君をはじめとする家族らと特に朝鮮の土で来た初日からそのあくどい苦労の中で私たちのために生きてこられた外祖母考えが切実だ。
中国の土地で伯母様といっしょにきながら法がなくても生きていく固定されたお母様に申し上げたかったがまた戻るかも知れない旅立つので君らの祖母が止めさせられるかと思って来た行くという一言もいえなくてお母様手首一度つかむことができなくて離れてきたのでおばあさんはどれくらいこの娘を恨んだの.
だからこの母はこの罪多くの自身を向上考えながら神様に許しを乞いながら生きていっているんだ。
ヘヨン!
このお母さんが中国にきながら君たちを永遠に捨てて行ったと理解しているだろう。一度中国に速くヨ来て帰ってまた朝鮮で捕えられて色々な苦難に会うことと知って君を連れてこようとこの母も限りなく子をみな使ったが神様の意ではないよ今まで遭えなくてそのお母さんその険しい土地で住んでいる君を考えればこの胸この裂けるようだな。
他の国の人々は外国に行って不法滞留をしながら金を儲けて家に送っているけれど、なぜ私たちの国だけ私たちの北朝鮮の人々だけお金があっても家に送ることができなくて難民になっても難民と認められることができなくて、生きるかを君はあまりにも知らないでいるんだ。
私の愛する一つしかない私の娘ヘヨン!
私は君をおいて中国に来て住みながらそのどの一日もお前を忘れることができなくて泣きながら生きてきたんだ。
初めには中国内側山東という所に売られて行き、中国の人の家で1年農作業を本手でないの人人材で受ける取り替えてとうもろこし、小麦、ピーナッツ農作業もして、豚を育てて子を出していて金を儲けて君たちを連れてこようと大変とも知らずに仕事をしたんだ。
初めには言葉もわからないところが生活習性も異なり、大変だったんですが、中国の家であまりにも親切に対してもらって君たち考えれば熱心に仕事をして家家族ら皆連れてこようといいながら勇気をもらって生活してきてそちらで憂いなしに大変なことも知らず過ごすことができたんだ。
しかし、その家は中国で一番がまんできない家なので農作業するものを全部売っても私を連れてきたお金3千ウォンもならないからどうすることができなくて市場で延辺お母さんに会って会社でミシン技術者を探すという消息を聞いて正式革会社職員として仕事をするようになったんだ。
しかし6ケ月間仕事をしたら一ケ月に一日中国の金で10ウォンしか労賃を受けることができないから一ケ月労賃は240ウォンしか受けることができなかったんだ。
これを契機に青島に行けば食堂の仕事をすれば一ケ月に少なくとも500ウォンは受けるという声を聞いてそちらに逃げて出ながら(その間農作業したのを売れば3千ウォンを返せるとの考えで)青島市内に行くことになった初めには400ウォンを受けながら食堂で仕事をしながらもその過小評価と蔑視を受けながら耐えられたことは君たちがいたためなんだよ。
ヘヨン!
このように身分証もなしで毎日警察らのサイレン音を聞きながらドキドキするように不法に仕事をしながら生きて行くのでその間君を連れてくるという考えさえできなくてただお金をたくさん儲けて送らなければならないということを中心に生きてきたんだ。
このように一歩二歩を難し綱渡りをしながら韓国会社で食事の仕度をするおばさん職業を取れて中国のお金4万ウォンを儲けた。だが家に送れないので家に手紙も書いて人を送って君らを連れてこようとした。その時お金で中国のお金3千ウォンならば十分に中国まで人を連れてくることができた。
しかし連れてきてむしろ売り飛ばせばどうするようで5千ウォンを与えるからここ青島まで連れてきてくれとしたが求めて人を送った。私は2004年6月から始めて君が来ることを毎日毎日待ちながら通話をしたが、私の夢は到底作られることができなかった。2005年1月までも連結を継続したがならなくて最後の手段で1万ウォンを与えるから頼むから火傷をしようとしたが求めて哀願もしたが君をついに私のそばに連れてくることができなくてヌッ会う因縁ということを知ってお母さんはそのままたたんでしまったんだ。
私が送った人々もみな信じるに足りる人でこうしたことを専門で儲けて生きる人々だとそのお金万ウォンを儲けようと限りなく努めたことは明らかなことではないの、その金ならばその時当時はいくら美しい女の子でもとても逃げる傾向が多くて買おうとする人もなかったんだ。
私の愛する娘ヘヨン!
君を連れてくることも出来ない自責感のためにこのお母さんはどの一日も泣かない日がないんだ。
いくら食べられなくて生きられなくても家族といっしょに飢えて死ぬ一があっても家族といっしょに暮らすのが一番幸せな生活だということをこのつらい体験を通して北朝鮮土地に置いてきた私たちの同胞らが感じて生きているんだ。
このお母さんはここ自分の故郷と同じ大韓民国にきてあらゆる配慮をみな受けながらあたかも天国にきて住むような心なので君たち考えを加えるようになるのでこの良い世の中も見なくてボロを着て飢えながらいやおうなしに生きていきつつある君を考えながらこのお母さんはこの文をなだめながらも涙のためによく見られなくて涙ふく紙がうず高く積もっているんだな。
へヨン!
君も分かっているように会寧にも君たちに送ろうと2千ウォンを送ったが、兄弟間にもお金の前ではどうしようもないことであるからいくら受けられなかったと聞いた。
その後にも君の父が中国にきて千ウォンを送ったけれど手紙では200ウォンしか受けられなかったというふるまうか。
その時君たちの父と通話をしながら無条件娘を送ってくれと言ったけれどなぜ送らなかったのか分からないね。
その後2005年度にグァンチョンを探して2006年に韓国の地にくるようになったね。ここ韓国の地にきながらタイ監獄で教会では韓国方々が面会もして来られながら色々な生活必需品を支援する時ごとに君を連れてくることも出来ない自責感のために泣いてまた泣いたりするからその方らが私のスンモクを捉えてくれながら慰労してあげてチュ様に会う日がくるという希望を持たしてくれたよ。
私の愛する娘ヘヨン早く統一になっていつもその日まで死なずに生きていたらどれくらい良いの。
祖国を捨てて逃げた家族だと違うところで移送させたり政治犯の収容所に引きずられて行ったことという気がすれば睡眠寝られなくてご飯徹夜する時が一、二回ではないという。
この文を書きながらも君と父のために泣いてまた泣きながらどうして1国1土地で戦争時期でもない全世界に平和が形成されているこの時期に金正日政治内で生きる人々だけがこういう苦難を経験しなければならないのか全世界に訴えたい心切実なんだ。私たち北朝鮮にも平和が形成されるその日を描きながらこのお母さんはそれ位にペンを置こうとする。ぜひぜひお母さん心配のほか口を歯を食いしばりながら死なずに会うその日まで安らかに元気でいなさい。
私の愛する娘ヘヨン!ヘヨナl
呼んでも呼んでも返事がないかわいそうな私の娘ヘヨンいつならば会えるか・・・ヘヨン、最後に君のために私たち皆の同胞たちのために神様に祈ろうとする。
“宇宙万物を創造して主管する神様お父さん北朝鮮土地に深刻化されている貧困と飢謹中にある家族らに神様の引導と保護を許諾して下さい・・・多くの人々中に先に私たちを大韓民国に無事に神様恩恵を分かるようにして全能な神様を頼りながら私たちを惜しんで愛して下さる感謝を知って生きていくようにして下さい…また我が家家族ら中夫と娘があってまだ地獄の土地でさ迷っている両親いない子供たちがいます。北朝鮮土地で表現できない涙と苦労の中で生きていっています
全能な父、神様!
彼らを真の平安と安息を得るようにしていただき、私たちと共に生きていけるように無事に韓国の地に引き渡して下さることを切実に願います。
イエスキリストの名前で祈祷さしあげます。アーメン。”
2008年5月6日
母より