<第26の手紙>

懐かしいお兄さんに申し上げます

パク・スヨン  

 

 本当に会いたいお兄さん!

 今、この時刻お兄さんはどこでどのようにお住まいですか?

 かつて父を失って私たちにお兄さんの存在はあまりにも大きくて重要でした。

 お母さんにはお父さんの空席を満たす立派な息子であったし、弟(妹)らにはお父さんの代わりをする一番上の兄でした。

 

 お兄さん!

 学校の宿題検閲もして職場で遅く戻るお母さんに代って少年団ネクタイを締めたまま、父兄会議に参加した時私はお兄さんが大きい山のように信頼できるように感じたが私の友人らと彼らの両親らが泣きながら私たちの兄弟をながめながらお兄さんをほめた姿が今でもあまりにも生き生き浮び上がって泣きたいほど会いたいです。私たちはお兄さんがおられるので、その何も恐ろしいことがありませんでした。

 

 そのような私たちが不意の状況の中でお兄さんだけ一人で残しておいてこちらにきました。私たちの家族の脱北計画がお兄さんの義母にばれて彼の密告でお兄さんは幼いおい(めい)が見る前で手錠をかけられて非常に冷たい保衛部監房に引きずられて行きながら私たちに強い目つきで示唆して下さいました。'君らだけでもお母様を迎えて必ず自由大韓民国に必ず行きなさい'と頼みました。お兄さんをその鉄窓の中に入れて私たちだけどのように生きると来ることができるでしょうか?お母様は絶対に行かないと固執しているのにこの時私たちの友人らが私たちが選んだ道が正しいことを知って足をばたつかせるお母様を私たちの背中に背負われておいたし川の水の中に押込みました。

 

 私たちの家族は追撃する警備隊員らの足音が近距離で聞こえるようで、非常に冷たい豆満江水の中で必ず生きてお兄さんの願いも聞き入れて怨も返さなければならないと考えながら血の涙を堪え、死に物狂いで、川を渡って中国に到着しました。一家親戚一つない中国土地で私たちの苦労をどのように言葉で表現しますか?

 

 再び国境を越えてモンゴルの砂漠地帯とベトナムのジャングルの中で私たちは一つでみな固く団結して粘り強く息をしながら結局はこちら大韓民国にきたし、今日は堂々としている大学生になりました。もう何ヶ月後には私は大学を卒業します。小さいお兄さんも大きい会社の会長秘室長として仕事をしてかわいいおい(めい)もできました。そうするぶんだけ北朝鮮において来たお兄さんとおいへの思いが一層切実に出ます

 

 私たちの後でそちらを去ってここに来た人たちからヒョンスが再嫁し、おいが孤児になっておばあさん家にまかせたというのに、どのように生きているのか涙が出るように会いたいです。お兄さんは政治犯収容所に行ったというのにどこにいらっしゃるのか?

 獣よりさらに惨めに住んでいるという収容所生活を私たちがどうして知らないでしょうか?

 考えると血が逆流したりします。

 どうすればこの怨恨を解けますか?

 

 ここで私たちはお母さんの還暦膳も整えて申し上げたのにその時お母様はずっと泣いておられたし祝いの客らも皆が泣きました。当然先に酒杯をはれて申し上げるお兄さんがおられないのでお母様の心がどれくらい痛かったでしょうか?

 

 私は最大名門大00大で法と新聞放送、映像芸術を複数専攻しているのにいつも高い成績を受けています。卒業した後には南北がいっしょに共有できる良い映画も作って新聞も作りながら北朝鮮からいっしょに来た私たちの友人らに大韓民国の法も知らせてよく遵守するようにしようと思います。

 

 お兄さん!

 私はときおり夢の中でお兄さんに会ったりします。地獄のような収容所で脚を引っ張って通いながら苦役に苦しめられる姿を見るときは全身に鳥肌が立ってこのようにすることを何日何夜なのか分かりません。夢は本当に薄情です。なぜ明るいお兄さんと対面する場面はなくて常に不幸な夢だけ見るのか分かりません。しかし夢は現実と半分当てろと人々が言います。必ず私たちは会えて夢と本当に互いに抱き合って泣き笑いながらその間し終えることができなかった話を何日何夜徹夜してしましょう。

 その日は必ずくるでしょう。私たちは統一のための道で自分のからだをちりあくたのように捧げる覚悟で毎日生きています。私たちの幸せなこの生活がお兄さんにはあまりにも大きい罪悪と感じられます。お兄さん、許して下さい。どうこうであるポダムもあげることができないこの弟が弁解することも心苦しいです。その中でもお兄さんは粘り強く強く生きていらっしゃると信じます。そのどんなことでも隙間がなくて鋼鉄よりさらに強いお兄さんなので必ずその中で死なないで生きておられるだろうと我々皆は信じています。

 

 私たちは必ず会うべきで、また会えます。

 なぜ世界で我が国だけが分裂の痛い傷を抱いて生きていかなければならないのか分からない。統一のその日が必ずきてお母さんと兄さんが共に会うであろうと切に望みます。

 会うその日まで必ず健康を保存して頼むからその中で死ぬことだけはやめて下さい。

 その日を切実に祈りながらこれくらいにしてペンを置きます。

200489

遠くソウルの天の果てで、弟(妹)スヨン拝


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