年賀状
八十余年が過ぎて、今までに作った年賀状も沢山溜まりましたが、大部分が版画です。自分でも良くできたと思うものもありますが、もう少し頑張ったらとしか言えない出来がほとんどです。これからは毎年過去のモチーフを取り上げ、より質の高いものにしていくつもりです。
そのようなわけで、このページでは一応取り上げても良さそうなものだけを載せておき、それに毎年改良品を一点ずつ加えていくということになる筈ですが、いつまで続くのかは判りません。
楊貴妃
昔、中国語を勉強した時に教科書に載っていた白楽天の長恨歌にある詩です。意味は、「春寒ければ(玄宗皇帝は楊貴妃に)華清池に浴するを許し賜う 温泉の湯は滑らかにして玉の肌を洗う」というところでしょうか。
中国語の教科書には、この他にも「月落烏啼霜満天」に始まる張継の詩など、いろいろ漢詩が載っていました。中国にいたときは、時々このような詩を口ずさみ、詩の情景を思い浮かべておりましたが、残念ながら仕事が忙しくて、西安の華清池を見ることも蘇州寒山寺を訪れる機会もありませんでした。実際に見るよりも私の心の中の情景の方がはるかに美しいのだと自らを慰めております。
日本に帰って数年が経ってから年賀状にこの白楽天の詩を使うことを考えました。楊貴妃の表現に苦労した結果、苦肉の策として棟方志功から美人を借りることにしました。
(2015年12月)
富春を猪走駆する図
富春というのは中国の浙江省にある山地の名前です。昔から風光明媚の地域として知られ、現在ここには大きな国立森林公園があります。
この年賀状の風景は、元代四大家の一人、黄公望の大作「富春山居図」から借用したものです。
この黄公望の作品は、中国絵画史上最高の評価を受けている傑作ですが、清代に至って、その時の持ち主がこの作品を愛するあまり、自分の棺桶の中に一緒に入れてくれという遺言を残したため、火の中に投じられ、それを息子が慌てて取り出し、一部だけ焼けた状態で救われたという逸話が残っています。現在は、焼け残った部分の大きい方は台北の故宮博物館に、また小さい方は浙江省博物館に収蔵されています。(2015年12月)
待ちぼうけ
守株待兎(しゅしゅたいと・shouzhu daitu)は、紀元前三世紀、中国戦国時代末期に韓非によって編集された思想体系「韓非子」の中にある寓話で、日本では北原白秋作詞、山田耕筰作曲の歌「待ちぼうけ」で知られています。
翻訳された韓非子は、岩波文庫にあり、読もうと思えば読めるはずですが、そこまで調べてみる気持ちは今のところ持ち合わせておりません。
さて「待ちぼうけ」の第五節をご紹介しますと、つぎのようになります。
待ちぼうけ、待ちぼうけ、もとは涼しい黍畑、いまは荒野の箒草、寒い北風木のねっこ
この図は「待ちぼうけ」の第五節を表現しているわけですが、北原白秋がイメージした箒草がどのようなものであったのかよく判りません。最近の園芸本などに見られる丸い箒草は、図中の農夫の丸い身体に調和しにくく、私はススキ風の雑草を背景に入れてみました。
はがきの最上部にある文字「恭喜発財」は、福建省など中国南部地方で「謹賀新年」の代わりに用いられる言葉であり、「コンヒー・ファッツアイ」と発音します。直訳すると「財産が増えておめでとう」でしょう。 喜が二つ並んだ字は、喜が一つと全く同じ意味ですが、二つあるだけ喜びも大きいということであります。(2015年12月)