GALLERY SUGAYA

矢田健爾展  


矢田健爾氏
1933年生まれ 湘南高校卒業 東京芸術大学卒業
 パリ国立美術学校で5年間研修 以後制作活動に入る。

 10月7日まで銀座松坂屋別館の画廊で開かれていた矢田健爾君の近作展を見てきました。彼は私の高校時代の学友です。

 彼は昔から何にでも興味を持ち、制作活動の中に取り込んできました。フランスへ行ったり、中国へ行ったり、活発に海外へ出かける彼の中では、西洋文化も中国文化も、そして日本の文化もごちゃごちゃになっています。そして彼はこのごちゃごちゃを決して気にせず、むしろ楽しんで遊んでいるのです。ただ遊んでいるというと、画も描かないでいると誤解される恐れがあるならば、プロの絵描きとして真面目に遊びを楽しんでいると表現し直しましょう。

 ここでちょっと脱線しますが、私はスポーツ精神という言葉が気に入りません。スポーツは、もともと遊びのために体を動かすことですから、遊びと思ってやればよいわけです。ルールは、遊びを面白くするためのものであり、それを破った途端に、遊びが面白くなくなるのは当然です。何もスポーツ精神に反するから反則をしてはいけないというわけではないのです。
 どうも日本ではスポーツを高尚なものと考える風潮があり、それが日本選手が緊張のあまり実力を発揮できない原因になっていると思います。

 美術の世界でも同じようなことがいえます。日本では、美術を高尚なものとして考え、好み、あるいは反対に敬遠する傾向があります。でもそれは遊びです。画などは何万年も前から人間がしてきた遊びなのです。最近、上野辺りで開かれる団体展を見に行っても疲れるだけで面白くありませんが、それは遊び、楽しんでいる作品が少ないからだと思います。早く入選したい、賞がほしい、傑作をものにしたい、大家になりたいなどの意識に凝り固まっている人は、遊ぶことができないのです。偶にこの人は画を描くことを楽しんでいるなと思われる作品に接するとほっとします。またそのような作品はとても魅力的です。

 それでは、良い画が描きたいなら遊べばよいではないかということになりますが、これがまた誰にでもできるわけではありません。遊ぶには、まず遊ぶことの楽しさを経験しないといけないわけで、そのきっかけは、優秀な先生の存在でもよいし、遊びを知っている仲間でもよいのです。勿論最初から遊びの天性があれば、それに越したことはありません。昔、ピカソの制作状況を撮影した映画がありましたが、大変なスピードと迫力で制作している天才ピカソの顔は、実に楽しそうでした。

 さてわが矢田健爾君も遊びの達人であり、彼の画は、私たちを楽しませてくれます。今度の展覧会を見て、感じた点が多々あります。一つは高校時代から続いている彼独特の雰囲気であり、一つは彼の恩師である林武の描法の影響です。またさらに一連の近作を比較してみると、次第に画の構成が纏まり、あるところに収斂していくようです。それは彼が遊びながらも画業の集大成を意識しているからでしょうか。いや、彼はまだ元気であるし、また何かを持ち込んでごちゃごちゃ始める可能性の方が大であると思いますが。 (2003年10月)