GALLERY SUGAYA

柄澤 齊展  


柄澤 齊展入場券

28th October~24th December, 2006
神奈川県立近代美術館鎌倉館

 最近、何か面白そうな展覧会はないものかとパソコンのキーを叩いていたところ、神奈川県立近代美術館のホームページで、 柄澤齊の作品が目に入り、早速、作家講演の時間に合わせて雨の中を鎌倉へ出かけました。
 実はそれまで、私の不勉強の結果として、柄澤齊についてほとんど何も知らなかったのです。

 会場に入ると、まず「頭」とか「捕らえられた天使あるいは翼のある男」など1971年から1973年頃の初期の作品に惹き込ま れます。ギリシャ神話や旧約聖書にモチーフを求めたものが多く、ものの形とものの表面の動植物的な微細構造に作者が大 変な興味を持ち表現していることが判ります。会場で購入した作品集にある年譜によれば、作者が木口木版に出会い、創形 美術学校で技法を学び、ブリューゲルの版画に刺激を受けた頃のものです。

 この一連の初期作品は、それ以後の絶妙な技術を駆使した作品にくらべれば、技術的な粗さが感じられますが、画面構成や 叙事的な表現力は決して劣りません。むしろその粗さが作品の強さになっていると言えます。絵描きは年をとるほど優れた 作品ができるものでもなく、若いときでなければ描けなかったという作品があるはずで、柄澤齊にとって「頭」はかけがえ のないものの一つであろうと思います。

 また初期作品は、いずれも古いヨーロッパの精神世界を強く感じさせる、現代人には刺激的な作品ですが、恐らくヨーロッ パの古書にある様々な図版が参考になっているのでしょう。作者が刺激を受けたというブリューゲルの影響もあるのでしょ うが、会場では、私はルドンの作品をすぐに頭に浮かべました。 

 オディロン・ルドンは、1840年にフランスのボルドーで生まれ、1916年にパリで没した画家ですが、その画集を書棚から引 っ張り出して見ると、その経歴や精神的な状況、絵についての考え方などは、柄澤齊と類似する点が多いように感じられま す。以下は、ルドンの画集に紹介されている画の制作についてのルドン自身の考え方です。

 「ある人たちは、画家の仕事が目で見たものを再現することにあると、ただそれだけだと、固く信じ切っている。こうした 狭い視野の中に閉じこもることは、程度の低い理想に身を縛られたにひとしい。芸術家というものは、一度自分の表現手段 を会得してしまえば、あとは自分の題材を歴史から借りようと、詩人から借りようと、自分の想像力から借りようと、もは や公然と自由であることを、古今の巨匠たちが証明しているではないか」
ファブリ世界名画集36 ルドン 1966 Fratelli Fabbri Editori, Milano、1969 平凡社

 さてこの展覧会全体を眺めて見ると、柄澤齊の職人的な技術の魅力と、イメージ豊かな制作活動の展開を感じます。そして このような印象は、柄澤齊の作品を一点だけ見たのでは、決して持つことができないものであると思います。

 現代は、絵画制作技術に関する情報も、制作に不可欠なイメージを膨らませる知的情報も、古代から現代までが蓄積されつ つあり、それを個人が容易に入手することができます。つまりルドンが活躍した時代よりもはるかに情報が豊富で利用しや すくなっています。素晴らしい技術と豊かなイメージを感じさせる作品がどんどん出てきてよいはずですが、昨今の公募展 では、技術は素晴らしいのに内容に乏しかったり、イメージを広げようとしても、表現する技術が伴わないような作品がほ とんどです。独創的な技術でなければいけないとか、自分達の時代が反映されたものでなければいけないとか、理屈を捏ね る前に、確かな技術と豊かなイメージを持つ必要があることを忘れているからでしょう。そんな状況を考えると、柄澤齊の 存在が強く感じられます。

 12月3日には、県立近代美術館別館で柄澤齊によるヨーロッパ版画の解説がありますが、当日は所用があってどうしても 行くことができません。別の日にもう一度この展覧会を見ておこうと思います。多少の作品の展示換えもあるようです。
 (2006年10月)