GALLERY SUGAYA

脇田 和展  


齋藤義重展入場券

 先月末に世田谷美術館で開かれていた「脇田和展」を見てきました。現在94才、なおかくしゃくとして制作を続けておられる大家ですが、若い頃の私はあまり関心がありませんでした。恐らく穏やかな色彩と柔らかな筆遣いでまとめた作品が強さや歯切れのよさを好む若かりし私の気性に合わなかったからでしょう。
 しかしながら私も年をとったし、もともと一人の画家がどのような過程を経て現在に至っているかということが判る企画展には興味がありましたので、行ってみる気になりました。

 さてこの展覧会では、脇田和の若い頃のデッサンから最近の作品まで約300点が展示されており、大変参考になりました。全体的な印象は、脇田和という人が終始一貫した製作態度を貫いているということです。モチーフも変わるし、いろいろな実験もしてますが、急転回したり、飛び上がったりすることはありません。また画家の中には早くから自分のスタイルを確立してしまうタイプもありますが、脇田和はそれともちがいます。むしろ生涯、苦労して自分の画を探っているタイプの方に近いでしょう。

 脇田和の作品を特徴づけるものの一つに、二つあるいは四つに区分した方形による画面構成、あるいは作品そのものを分割してしまう画面構成があります。美しく安定した画面構成というかなり古典的な意識から脱却できていない私には、この画面の分割が好きになれません。美しいとは思えないのです。ですからなぜこのような分割された画面構成が必要なのかを考えてみる必要があると思うのです。

 この画面を分割するやり方は脇田和が初めてではないし、作品を分けて対にするのは、「風神雷神の図」の例を挙げるまでもなく、東西を問わず古くから試みられています。また脇田和の作品には、窓の外から内部をのぞいたような構図もあります。額縁の中にさらにフレームを作った感じになります。これなども先日白馬で見たシャガールの作品にもありました。病院の病室を窓の外から見た構図などです。

 脇田和の好んだモチーフの一つに鳥がありますが、脇田和は画面構成上鳥が必要だったわけでなく、鳥にものを言わせたかったのだと私は思います。同様な意味で画面を分割することの意図は、分割された各部分に意味を持たせ、それぞれを関連づけて全体を構成することにあったのではないでしょうか。窓の外にあるという意識の中で、窓の中の世界を覗いてみるという感覚も同じです。脇田和は表現形式や造形にこだわる現近代の風潮に反発し、文学的な表現の可能性を探求しているのでしょう。 (2002年)

 (追記)
 脇田和 2005年没 享年97歳
 1991年軽井沢に開館した脇田美術館は、駅から三笠通りを北へ800m、左へ少し入った所にあり。静かな環境で脇田和の作品をゆっくり見ることができます。 
(2015年12月)