GALLERY SUGAYA

拓本とその白黒反転  


火を消す聖鳥ガルダ
火を消す聖鳥ガルダ 拓本
ガルダ像の拓本
火を消す聖鳥ガルダ 白黒反転図

 大阪市の東住吉区にある真言宗泉涌寺派大本山法楽寺は、創建が平安時代末に遡る名刹です。当代貫主は、美術に造詣が深い方で、20年ほど前にカンボジアに滞在し、アンコールワットとバイヨンで寺院回廊を飾るレリーフの拓本を採りました。持ち帰った41点の拓本はすべて表装され、境内にある洒落た美術館で展示されました。
 現在、私の手元にお寺から頂いた展覧会の冊子がありますが、拓本の描写は全面にわたって細部まではっきりしており、写真とは異なる美しさがあります。私は美術館に展示された現物を見ておりませんが、現地壁面と同じ大きさであるそれは大変な迫力のあるものと想像しています。

 この冊子に載せられている拓本には、インドから東南アジア各国に伝承されているサンスクリット大叙事詩ラーマーヤナを描いたものがかなりあり、時々冊子を開いては眺めているのですが、あるときこの拓本の写真を白黒反転することを思いつき、早速スキャナーでパソコンに取り込んでみました。
 上の右図が画像処理で白黒を反転させたものですが、左の拓本の写真に比べてレリーフの感じが出ていて、表現がより描写的になっています。拓本は白黒反転図よりも抽象化された表現になっているともいえるでしょう。拓本の方が良いとか、白黒反転した方が優れているなどということは、あまり意味がありませんが、現地のレリーフの感じを伝えるという意味では白黒反転図が優れているといえます。

 通常、私たちがよく目にする拓本は、石碑などから採った書です。「月落ちて烏啼き、霜天に満つ」で始まる張継の詩は日本人に人気があり、中国の土産店にはその拓本が沢山置いてあります。営利目的でこの石碑の拓本を採ることは、簡単にはできないはずで、土産店の商品は全部石碑の模刻から採ったものでしょう。来日した中国の知人から頂いたお土産は、明らかに段ボールに字を刻んで作った拓本でした。
 石碑の拓本の場合、その白黒反転図はどうなるのかということも気になり、石川九楊さんが編纂した「書の宇宙」を開いてみました。そこには多くの石碑の拓本図があり、拓本の白黒反転図も編者の解説とともに載っていました。編者の解説は、紙の上の書を石に刻むための技術、刻法に関するもので、拓本が石碑表面の凹凸によるかすれなど複雑なテクスチャー(肌触り)を示しているのに対し、白黒反転図の方は字を鮮明に浮き出させており、刻法の説明に適しているようでした。ついでにこの解説の周辺部分を拾い読みしてみると、石碑は必ずしも紙の上の書を忠実に写したものとは限らず、複雑な要素の絡んだ歴史的変遷があることが判ってきました。老い先短い私は、これ以上この問題に立ち入ることは避けた方が良さそうです。

ガルダ 
我家のお宝「ガルダ」

 さてこれからは全くの蛇足になります。
 上のレリーフの拓本に描かれているガルダは、インドネシアの航空会社の名前にもなっている怪鳥です。40年以上前の話ですが、私がシンガポールに転勤していたとき、我家の近くに新しくホテルができました。ホテルのロビーには、ホテルがバリ島に発注して作らせた一対の極彩色ガルダが置かれ、ホテルのパンフレットにもその写真が載っていました。その数年後、ホテルで食事をして帰るとき、階段の脇にあった土産店の棚の隅に、かなり傷ついたこのガルダを見つけました。今も我家のお宝として存在しています。

 居間の書棚の上にあるガルダを見るたびに何とか画にしたいと思うのですが、思うようにはことが運びません。この木彫のガルダも、またカンボジアの寺院の回廊にある多くの動物たちも、冠や仮面をつけた役者の形をしています。ラーマーヤナが古代からミュージカルとして受け継がれてきたことを示しているのだと思いますが、私はこのような人間の姿でなく、動物本来の形を抽象化して表現できないかと考えています。7年前、岡村桂三郎さんが県立近代美術館鎌倉で発表したガルダの凄まじい迫力(*)、同じころに見た東照宮陽明門に群がる聖獣たちの絢爛たる世界などが私の脳裏から離れません。(2015年9月)

(*)杉板の表面をバーナーで焼き、胡粉を塗ってから工具で黒い線を削り出し描いた大作