GALLERY SUGAYA

国安孝昌展(遠い予感)  


国安孝昌作品
国安孝昌作品

31st March~29th April, 2007
GALLERY HIRAWATA
藤沢市遠藤2969-2

 ギャラリーの入り口を入ると、目の前に一つの立体作品が恐竜のように立ちはだかっています。その巨大な身体は右手へ続いてから向こう側へU字形に回りこみ、そのままガラス戸が開け放たれたところを庭へと通り抜けています。
 平均高さは2m強、最高の高さは5m、全体の長さは20mくらいでしょうか。昔、建築工事の足場に使われていたような杉丸太を1mから2mくらいに短く切ったものが針金で組み合わされ、さらに断面が4cm角、長さ18cmほどの柱状煉瓦の束が部分的に組み込まれています。作品を見渡すと、10m四方くらいの展示室、それより少し狭い庭という互いに接している二つの異質な空間の広がりが緻密に計算され、構築されていることが判ります。
 鑑賞者は作品に沿って歩きながら作品の表情の変化を楽しむことができますが、庭へ出てから、恐竜が建物の中に頭をも潜り込ませているような異常な事態を感じる人も少なくないでしょう。
 私は真昼にこの空間に立ち入ったのですが、夜になって明るい部屋の中から暗い庭へ出て行く尻尾を見たら、あるいは暗い室内から月明かりに浮かぶ尻尾を眺めたら、さらにまた暗い外から明るい室内に横たわる胴体を見たら、さぞ面白かろうと想像してみました。

 ある与えられた空間を物体で埋めていくという美術の表現形式は、一般にインスタレーションと呼ばれていますが、この作品は、空間を巧みに使っているということで、まさにインスタレーションを説明するのに格好のモデルであると思います。

 さてこの作家は、この他にも屋外を空間とする作品を多く手がけているようです。屋外では、空間が大きすぎて、それを埋めていくというような具合に作品を作ることが物理的に難しい場合が多いでしょう。つまりどんなに大きなものを造っても、少し離れて見れば、それは自然の大きさに対抗できるような規模のものではないことが判るからです。そのように考えると、むしろジャコメティのように細長い彫刻やオブジエでまわりの空間を表現するような試みの方が容易であるように思われます。しかし國安孝昌には、そんな考え方は毛頭ないようです。

 スイスの山地には、スレート状の石瓦を葺いた古い木造建築がたくさん残っており、私はそのような建物に近づいて、建物が放つ何ともいえない雰囲気に呑まれた記憶があります。
 また昔、大阪の近くの妙見山に何度も登りましたが、参道の脇に朽ちかけた古い建物がいくつも残っており、昼日中でもそのうす気味悪さが恐ろしく、大抵は裏の澤道を辿ったものです。
 このように家くらいの大きさにもなる古い木造構築物には、なにか見る人に迫ってくるものがあります。それはそのような自分よりも大きな構造物に対面すると、自分の体が何らかの物理的影響を受けるかもしれないと緊張するからでしょうか。それとも我々の脳の隅に痕跡として残っている昔の人間が体験した生活空間の記憶が刺激されるからでしょうか。

 こんなことを色々考えてみると、屋外空間を埋めるような大構造物ではなくても、屋外という空間を利用して、人間の感覚に大きな影響を与える様々な大型作品ができるように思われてきます。

 國安孝昌はこの部屋で、一人で何日もかけて丸太の山に取り組み、この作品を完成させています。煉瓦も自分で焼いているそうです。彼は勿論完成した自分の作品を眺めて幸福感に浸るのでしょうが、丸太と取り組む肉体作業の中にも創造の喜びを感じているに違いありません。私はこのようなバイタリティに溢れた制作の様子をギャラリーの平綿さんからお聞きしながら、将来、さらに雄大で深みのある作品が生まれてくること思わざるを得ませんでした。(2007年4月)