尾張名古屋 <2025.6.21>

名古屋城は名古屋のシンボル。1615年徳川家康が築城、御三家筆頭、尾張藩主の居城であった。
名古屋城下は旧東海道から少し離れていたため閑散としていたが、幕府が安定してきた7代藩主徳川春宗の頃、城下に芝居や遊行施設を造り、人が集まる場所に整備してから「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」といわれるほど賑わった。
国宝であった名古屋城は米軍の空襲で焼失。1959(S34)鉄筋コンクリート造りで再建されたが耐震性の問題で閉鎖。建て替えが予定されているが、バリアフリーの方法や石垣調査で意見が対立。藩主住居の本丸御殿が先行して2018年に再建公開された。
書院造りの欄間、天井、障壁画、漆塗りや金箔の飾金具など武士文化の粋を尽くした豪華さ。写真撮影禁止の京都二条城本丸や二の丸御殿に比べて、名古屋城の本丸御殿は写真が撮れるのが有難い。
次に訪れたのは、中級武士の屋敷が集まっていた白壁筋、主税町、撞木筋。明治、大正時代には政財界や文化人らが暮らしたエリア。その中に、戦災を免れた豊田佐吉の旧宅、一族の旧宅の重厚な黒い漆喰板塀門。陶磁器貿易商の旧宅、白壁塀の門構えの中に木々が茂る料亭や式場、重厚感のあるマンションなどが混在する静観な高級住宅街になっている。

さらに、名古屋城から堀川沿いの美濃道を下ると、四間通と呼ばれる道筋に伝統的な町並み保存地区が存在する。堀川の船運で発展した商人の町で、元禄の大火後、道幅を4間(7m)に広げ、石垣土蔵造りを推奨した。二階に熱田や稲葉の神様を祀った尾張地方独特の屋根神様の家が何軒かある。
名古屋駅で息子と久しぶりに会って昼食。その後、トヨタ発祥地のトヨタ産業技術記念館を訪れた。
トヨタ創設者の豊田佐吉が1911年(M44)に創業した紡績や織布機械を製造する豊田紡織本社工場の跡地である。
勤めている時、東レ開発センターにあった懐かしい繊維機械は足早に通過、自動車館で製造歴史、設計、鋳造、鍛造、プレス、組み立てなど自動車生産の工程や実演デモ機などを見学。若い頃に乗っていたカローラ1100とも対面した。
帰りは近鉄特急火の鳥に初乗車。光沢のあるメタリックレッド。普通車でもリクライニングシートは最高に倒しても前後に影響しない余裕間隔と座高さ、鶴橋まで寛ぎの2時間。
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