| | マニラ (Manila)→ ダバオ(Davao)→ キダパワン (Kidapawan)→ イルマビス (Ilomavis) |
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| 【1979.3/30】 | |
| 7:00 | イルマビス (Ilomavis) Captainの家 発 |
| 8:05 | Sayaban villege |
| 10:05 | Sudsurayan villege |
| 11:30 | Bank house着 (花が咲き木琴の音が聞こえる) |
| 14:15 | スコールあり 本格的に降る 停滞 |
| 15:40 | スコールがあがったので出発 |
| 16:15 | 十字路 ここで道をまちがう 途中で引き返す |
| 18:00 | 十字路に戻り テント設営 |
| 20:00 | 就寝 |
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| 【1979.3/31】 | |
| 5:50 | 起床 |
| 6:50 | 発 Marbel川にでる 子供が九州大学の人達からの手紙を持参「会えるのを楽しみにしています」とある。 |
| 7:15 | 子供の案内で九大の仮設小屋に着く 「蝶の採集をしている」という |
| 9:40 | Hot spring着 |
| 14:45 | ベナド湖畔(Lake Benado) |
| 17:20 | テント設営 |
| 20:00 | 就寝 |
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| 【1979.4/1】 | |
| 5:30 | 起床 |
| 6:30 | テント撤収 出発 |
| 7:00 | 樹林帯をぬけ低木となる |
| 7:10 | 低木が消え草と岩になる |
| 8:25 | 頂上直下に出る 記念撮影 |
| 8:50 | アポ山頂 (2954m) 360度写真撮影 荷上げ |
| 10:00 | 昼食 |
| 11:30 | クレーターの見える地点着 カパタガンへの道を捜す |
| 12:00 | クレーターの底着 噴気孔あり |
| 13:35 | 東側に下降するも道はない 沢、ヤブ、けもの道をたどる |
| 16:05 | Baclayan River にでるも流水なし たまり水発見ボウフラあり。こして煮沸して飲む。滝を巻く やぶこぎ |
| 17:00 | 3段の滝にでる、テント設営 |
| 20:30 | 就寝 |
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| 【1979.4/2】 | |
| 5:20 | 起床 遠くニワトリの鳴き声が聞こえる |
| 6:50 | テント撤収 出発 |
| 8:50 | 20m以上のでかい滝にでる |
| 12:15 | ついに標識を発見 道に復帰 |
| 13:30 | 村人が木を切っている場所に出る 手を振ると話しかけてきた |
| 15:40 | 村に下る。バゴボ族のポグポグ村 (Pogpog Villege) だという。G氏の高床住居に泊めてもらう |
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| 【1979.4/3】 | |
| -:-- | 起床 村人多数集まる。記念撮影となる。なごやかだ。 |
| -:-- | ポグポグ村を出発。村はずれに一軒の家あり。Odaさんという。日本人の子孫とのこと。家族は日本語で歌う。なごやかだ。曲は♪ここに幸あり♪ |
| -:-- | カパタガン (Kapatagan)を経て Digos着 ホテルセシリア泊。翌日ダバオ着。 |
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| 【1987.8/26】 | 参考:朝日新聞「忘れられた残留孤児4 」でバゴボ族集落の小田ケイジさんの記事が掲載された。 |
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