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山 陰   出雲・松江・鳥取

        鳥取から島根、山口に至る山陰は、中国山地の北側「山の北側」がその語源になっ
        ている。かっての律令下では因幡、伯耆、出雲、石見、長門と呼ばれた。日本神話
        と深いつながりのある歴史跡や名所旧跡を訪ねる。 <2014.3.27~29>

       

■神話とつながる出雲
 岡山始発の伯備線特急やくもに乗る。中国山地を縦断して出雲まで3時間。大社造りの出雲市駅から出雲大社前までバス。店舗が並ぶ神門通りから幾つかの鳥居をくぐると八雲山を背にした出雲大社の境内。
 拝殿の大しめ縄は5トンを超える。本殿はその奥、大社造りと呼ばれる日本最古の神殿建造り。1744年の再建(国宝)。創建は定かでないが古事記、日本書記や出雲大社史によると崇神天皇から垂仁天皇の時代。主祭神の大国主命は素戔嗚尊(日本書紀では素戔嗚尊、古事記では須佐之男命)から6世後の孫。

 日本神話によると、大国主命は出雲を豊かに統治していた。その様子を高天原から見ていた天照大神は、大国主命にこの国を譲るように迫る。
 この時代は大和を中心とする連合王権が周りの国々を従えていた中で、独立国として対立していた出雲を、大和王権が武力と対話で従属させた国譲り交渉が成立する。大国主命は出雲を譲る代わりに「神」を治める。
 それに相応しい天に届く高層な社殿建設を大和王権が支援した。これが古代出雲大社とされている。


  

 現在の本殿の高さは24m。この当時の建物としては最大級の高さであったが、それより以前の古代出雲大社は48mもあたとされ、平安時代の書物には日本一との記録が残る。しかし、当時の建築技術では困難とされてきた。
 ところが、2000年の発掘調査で本殿前旧社地跡から、3本の大木を組み合わせた直系3mもの巨大棟柱が発見された。この結果をもとに、大林組は4世紀頃の建設技術で、階段数100段を超える巨大高床式巨大社殿を建てることが可能であったとする学術論文を発表した。
 この旅で一番知りたかったのがこの発掘調査結果。県立古代出雲歴史博物館で1/10模型や発掘調査資料などを見て、4世紀に16階相当の建物があった事に驚いた。

 1キロ程西にある神話の舞台、稲佐の浜まで足を延ばす。旧暦10月にはこの浜に全国の神が海路で集まる。浜にかがり火を灯して神々を迎える神事が今も受け継がれている。浜には国譲り交渉の場所とされている屛風岩があるが、民有地のため入れなかった。
 出雲にもう一つ大きな日本神話が残る。
 イザナギとイザナミから生まれたのが天照大神、素戔嗚尊、月読尊の三神。乱暴者で高天原を追われた素戔嗚は斐伊川上流、奥出雲の船通山に降臨。娘を食べる八岐大蛇を退治して、その尾から出てきたのが天ノ雲剣(草薙の劔)と呼ばれる神剣で、これを天照大神に献上して天皇の三種の神器の一つとなる。

 出雲大社沿道に野見宿祢神社がある。出雲豪族の野見宿祢は相撲の元祖とされ、古墳時代の埴輪の提唱者(考古学的には否定されている)として、土師氏姓を賜り大和を中心に古墳、葬祭を司る。この土師氏から派生した菅原氏族の中から菅原道真が輩出した。
 駅前には歌舞伎の元祖といわれる出雲の御国の銅像が建つ。京の都で一世を風靡した御国は晩年、出雲に帰り尼僧となる。


松江城の国宝復活
       

 出雲から松江に向かう。その途中、宍道湖畔に玉造温泉がある。玉造の地名は古墳時代に勾玉が造られていたことに由来する。三種の神器の一つ八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)は、素戔嗚が天照大神に献上したと伝えられているが、この地方で造られたのかも知れない。

 水の都の松江。宍道湖と中海が繋がる大橋川から四方に水路がはりめぐらされている。松江城の堀川もこの水路の延長線上にあって堀川巡りの小舟が行き交う。
 奈良時代の出雲国司は隣の東松江に置かれていた。戦国時代に尼子氏が月山富田城を中心にこの地方を支配。関ケ原の戦い後、堀尾氏が入封。水運のよい松江に新たな城を築く。これが現在の松江城である。

 明治維新の廃城令で松江城の取り壊しが決まるが、元藩士や地元豪商らによって城が買い取られ、大規模修理で築城時の姿を取り戻し国宝に登録されていたが、新文化財保護法の施行で重文に格下げされた。天守創建のエビデンスが見当たらないためである。
 懸賞金をかけ創建を裏付ける祈祷札を探した結果、慶長16年(1611年)と書かれた2枚の札が2012年に見つかる。札の釘穴と城の通し柱の釘跡も一致したことから国宝に復活する。
 国宝の天守としては松本城、犬山城、彦根城、姫路城に続いて5番目。その詳細を松江城と松江歴史館で確認することができた。

  

 松江城を囲む堀川や江戸時代の風情を残す武士屋敷、帰化人作家の小泉八雲旧居跡、松江歴史館などを周って、夕日百選として知られる宍道湖に向かう。好天気のこの日、徐々に茜色に空が染まりだす。湖面にゆらぎ輝く夕日、嫁ヶ島の美しいシルエットに寒さを忘れる。
 この日は12キロ程歩いた。市中のこじんまりしたビジネスホテルであるが、部屋に宍道湖温泉の源泉が給配されていた。冷えた体を温め足の疲れをとる。

■安来・足立美術館
 翌朝、古代製鉄の町、安来に向かう。民謡安来節のコミカルなキャラクターやオブジェのある安来駅前からシャトルバスで足立美術館に行く。地元の実業家 足立氏が設立。横山大観などの巨匠の絵画や有名な陶芸、彫刻などのコレクションを収蔵展示している。
 もう一つの眼玉、枯山水や白砂青松庭園は海外旅行者の評価が高い。手入れが行き届いた5万坪の庭園が巨大ガラス越の展望になるのが不満である。

 この美術館の先に月山富田城の城下町として栄えた、広瀬のレトロな街並が残る。かって山陰、山陽の支配者であった戦国大名尼子氏の本拠地。七曲りのある難攻不落の山城は大内義隆や毛利元就を苦しめ一度も陥落しなかったが、毛利元就の策略によって起きた尼子氏の内紛で自滅している。

  

■奥出雲・雲南 「たたら製鉄」
 安来の観光案内所や歴史博物館で、たたら製鉄と神話の繋がりを知る。
 八岐大蛇を退治した素戔嗚の神話が残る奥出雲は、たたら製鉄の本拠地のひとつとされる。八岐大蛇は製鉄の炎を表現していて、その尾からでた神剣(天雲剣)を天照大神に献上したのは、この地を天照大神に譲渡したこと解釈されている。
 安来節のドジョウすくいは土壌。砂鉄採取の様子をドジョウすくいに置き換えてコミカルに表現したのではないかといわれている。中国山地は良質な砂鉄の産地。鞴(フイゴ)で木炭を高温燃焼させて砂鉄から鉄を還元する、独自のたたら製鉄が江戸時代から明治初期にかけて全盛期を迎えた。日本刀はたたら製鉄の代表である。
 安来駅前の日立金属安来工場、たたら製鉄の伝統を引き継いで世界的な高級鋼を生産している。

■鳥取砂丘
 米子から鳥取県になる。残雪の大山や日本海を眺めながら山陰線を東に向かう。倉吉駅前は何もないが、少し奥まったところに昔の伯耆国の中心地であった宿場町と三朝温泉がある。
 山陰の東の玄関口鳥取。駅前からバスで砂丘に向かう。馬の背と呼ばれる高さ47mの丘陵地に登ると、海岸線まで30度程の急斜面になっている。中国山地の花崗岩が風化して川から海に流れ堆積、潮流で海中の砂が海岸に吹き付ける強い北西風で押し戻され、砂丘が形成されたことを砂丘会館で知る。
 この日の宿は公務員共済会館。鳥取市内の中心にありながら温泉。松江に続いて2日連続で美肌効果のアルカリ泉で身体を温める。

  

 鳥取砂丘から若狭湾にかけて続くリアス式海岸はジオパーク。奇岩、断崖、洞門などの絶景が続く浦富海岸に来たが、波が高く島めぐりの遊覧船は欠航。遊歩道を巡るだけになった。
 鳥取賀露魚港に向かい海鮮市場で昼食後、大国主命にまつわる神話、因幡の白兎で知られる白兎海岸に行ってみる。ワニザメに皮を剥かれた兎を助けた縁で、この地の八上姫(ヤガミヒメ)と結ばれたことから縁結びの神とされるようになる。因幡地方を納めていた一族を兎に例え、侵略してくる海賊を大国主命が打ち破ったことを表現しているとされている。
 鳥取からの復路は中国山地を縦断する大阪直通の智頭線特急はくとに乗る。途中の美作大原は宮本武蔵の生誕地、駅名が宮本武蔵に変更された。

 およそ30年ぶりぐらいになる山陰。ディーゼルの煙を吐き出しながら走る振子型特急。のどかな山岳地、残雪の大山、日本海や宍道湖などの眺めも然る事ながら、歴史博物館や資料館などを巡って、日本神話や山陰の歴史文化に触れた。歴史のカテゴリーに入れてもよいほど収穫の多い旅となった。



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