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これまで一番疎遠になっているのが四国。勤めている頃、東レ愛媛工場に数回の他、鳴門干潮船と、しまなみ海道を訪れているだけ。過疎化が進みJR路線の撤退などで繋がりにくい難ルートのため敬遠してきたが、香川県の歴史町、門前町として栄えた琴平金刀比羅宮と高松栗林公園を日帰りで訪れた。
<2016.5.18> |

■四国マリンライナー
金毘羅宮は階段や坂の連続のため妻は行くことができず、単独行になる。新大阪始発の九州新幹線みずほに乗る。4月の熊本地震の影響で福岡から先は減速するため遅れるとの車内アナウンスがある。岡山で瀬戸大橋線の高松行快速マリンライナーに乗り換える。
マリンライナーは5両編成。1号車は2階建。2階がG席で1階は指定席となっている。2号車以降は見慣れているJR西日本の新快速型。

瀬戸大橋線は岡山駅から単線区間で、途中から複線になっている。田畑や空地も多く拡張は難しくないと思うが、複線化によってJR四国の利便性は向上するが、西日本岡山管轄区としての投資メリットが少ないため放置されているらしい。
瀬戸大橋は本四連絡橋の一つ。岡山県倉敷市と香川県坂出市間の瀬戸内海の島々を結ぶように連なる鉄道道路併用橋で、上階が自動車道路、下階がJR線で新幹線用のスペースも確保されている。工期10年。1兆円を超える巨額費用を投じて1988年(S63)、本四連絡橋の中では最も早く開通した。
■金刀比羅宮
天気がよく瀬戸内海の景色や行きかう船がきれいに見渡せる。坂出駅から琴平行に乗り換える。
琴平駅の一つ手前の善通寺は空海の誕生地。奈良時代後期、平安京に上京。最澄らと共に遣唐使として中国に留学、帰国後に東寺や高野山で真言密教(宗)を開祖。後に弘法大師の称号が贈られた。その空海の誕生地に善通寺が建てられ、空海ゆかりの寺院を巡る修行の旅が「四国八十八ヶ所巡り」として庶民に普及した。

9時、琴平駅着。香川県仲多度郡琴平町、象頭(ゾウズ)山中腹に鎮座する金毘羅宮の門前町。
真言宗松尾寺の守護神である象頭山金毘羅神を祀る。かつては金毘羅権現とも呼ばれた。人々を救うために仏が権(カリ)に神の姿として現れる、神仏一体の神として信仰を集めていた。特に江戸時代中期に入ると、各地に金毘羅講が組織され金毘羅参りが盛んに行われた。
明治の神仏分離令で本尊十一面観音は信仰の対象から外れ、金刀比羅宮と改称。神道の神として大物主神と崇徳天皇を祀った。しかし、地元ではいまだに「金毘羅さん」と呼ばれているし、金毘羅と金刀比羅は曖昧なままになっている。参拝も神式に二礼二拍一礼する人もあれば、仏式に拝む人もいる。
有名な石段参道は本殿まで785段。奥社まで1368段。石段碑から1段目が始まる。その横に籠屋がある。
何段か登っては平坦になる。この繰り返しで一気に続く階段ではない。両側に土産物店が続き、ここまでは思ったより楽。113段目で一之鳥居。ここから一之坂と呼ばれる連続した長い石段になる。
その途中に琴陵宥常(コトオカヒロツネ)の銅像がある。明治の神仏分離令で寺の住職から金刀比羅宮の宮司になって、海の神様として現在の金刀比羅宮の礎を築いたと記されている。
365段目に二層入母屋造りの大門が建つ。高松藩主松平頼重の寄進とされる。
大門に掲げられている赤丸の「金」の字は、人が長く平和に暮らせるようにと、願いのこもった印であると説明されている。
大門をくぐると神域となる。そのため、ここから商売をする店舗はなくなる。ところが、赤い縁台に白い番傘を立てて飴を売る4軒の小さな出店がある。300年以上前から続く飴屋で、先祖代々から神事への貢献により神域内で飴を売ることを許可されている。 |
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青銅鳥居で431段目。厩には白と黒の神馬がいる。628段目が旭社。神仏習合時代には松尾寺の金堂として信仰の中心となる薬師如来を祀っていた。二層入母屋造、銅瓦葺、総ケヤキ、屋根裏の巻雲、柱間、扉などの細かいところまで鳥獣、草花などの彫刻が施されている。完成まで40年もかかった立派な建物は重要文化財に指定されている。

ボランティアガイドの説明によると、清水次郎長の代参で訪れた森の石松は、この旧金堂旭社の立派さに本殿と思い込み、次郎長が寄進した名刀備前国忠吉を奉納して引き返したと伝えられる。
次郎長三国志では森石松はこの帰り道、所持していた多額のお金を狙った侠客の騙し討ちで遠州小松で斬られてしまう。
最後の150段程の石段を上がりきると本殿。桧皮葺の大社様式で、大国主命と崇仁天皇を祀る。先ほどの立派な旭社を見てきているから、本殿は小さく品祖に見えてしまう。
本殿横の見晴台から望む讃岐平野の景色が素晴らしい。天気がよく讃岐富士の向こうに瀬戸内海、瀬戸大橋まで望むことができる。

帰り、昼食に名物の讃岐うどんを食べる。やや太めで腰がある。香川県はうどん消費量、うどん店舗数とも全国一。温暖な気候のためコメの裏作として小麦も作られ、讃岐うどんが名産になった言われている。
ちょっと横道にそれて、こんぴら歌舞伎大芝居の金丸座、海の科学館、歴史資料館などに立ち寄る。
琴電琴平駅の横には幕末の頃に建てられた高燈籠がある。日本一高く27m。かっては瀬戸内海から見えて海路の目標灯となり、船から金毘羅宮を拝んだそうである。
金刀比羅宮の正面参道を起点に放射状に多度津街道、丸亀街道、高松街道、阿波街道、土佐街道が延びている。昔から「四国の道は金毘羅宮に通じる」と言われてきた。

琴平から栗林公園のある高松までは、JRの土讃線と予讃線を乗り継ぐと遠まわりなる。琴電で知られる高松琴平電気鉄道の琴平線にすると、栗林公園まで乗り換えなし一直線で行ける。
琴電は大手私鉄の車両をリユースしたもの。ものすごい縦揺れ、懐かしい扇風機、ガタンと閉まるドア、ほとんどが無人駅の単線軌道のローカル線。自転車も乗れるようになっている。ため池の多い田園地帯を走り栗林公園駅まで1時間程。
■栗林公園
栗林公園は紫雲山を背景にした回遊式庭園。地元の豪族が造った庭園を基に江戸時代初期の讃岐領主、生駒氏が大規模造園を開始、後の藩主松平家が完成。300年以上前の庭園を今もそのまま残し、庭の国宝である特別名勝庭園に指定されている。

庭園の完成までの年数を調べてみると、日本三大名園の水戸偕楽園は約9年、岡山後楽園は10年程、栗林公園は100年を要している。その規模の凄さがわかる。
高松が松のトップ産地であるとを知らなかった。園内は松の博物館と思われるほど多くの松が植えられている。中でも鶴亀松は園内で最も美しい松とされている。樹齢約200年、地下植えの盆栽松「根上がり五葉松」は、くろ松の根に五葉松を接ぎ木、高さ8m、周径3.5mの巨木。他にも独特な枝ぶりが保たれた箱松など、江戸時代から長い年月をかけて行き届いた手入れがされてきた。
■高松城跡・玉藻公園
広い園内は周りきれない。南庭を中心に1時間半で切り上げ、琴電で高松に向かう。
高松港の海沿いに高松城跡の玉藻(タマモ)公園がある。瀬戸内海沿いに建てられ、濠に海水を引き入れた水城で日本三大水城(今治城、中津城)。豊臣秀吉の家臣生駒親正によって築城された。生駒家の後、松平頼重が入封、高松藩の藩主となり城域が改修され、瀬戸内海の押さえを果たしてきた。
その松平頼重は徳川光圀(水戸黄門)の兄にあたる。後に、徳川光圀は高松藩主松平頼重の子を格式の高い水戸藩主に迎え、代わりに自分の子(徳川頼常)を高松藩主の養子として継がせている。
今は天守閣は存在せず、月見櫓、艮(ウシトラ)櫓、海水を引き入れる水門、天守閣に続く蛸橋が残る。城跡公園でも松がたくさん植えられ庭園風にきれいに手入れされている。
帰りは高松駅から快速マリンライナーで岡山まで1時間。早朝出発したため、主目的であった金刀比羅宮の他に栗林公園、欲張って高松城跡玉藻公園なども巡れた。 |
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今回は金刃比羅宮が中心であったが、栗林公園の規模や立派な松などに驚いた。
これまで、水前寺公園、後楽園、兼六園、足立庭園などの大規模庭園を見てきたが、この中でも栗林公園の庭園規模、内容ともに群を抜いていると思う。

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