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2013年の秋、JR東日本の観光キャンペーンに「旅する北信濃」があって、志賀高原が掲載されいた。北海道、東北の紅葉を見てきたが、秋の信州は始めて。妻と巡ったこの時のSDが行方不明となって記録に残すことができていなかった。何処からか出てきたSD。12年遅れの旅の記録となる。<2013.10.12~10.14>
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志賀高原 横手山から笠ヶ岳眺望
北信濃は長野県の北部。新潟県と群馬県に接した大自然の山岳リゾート地や、歴史ある旧街道が存在するエリア。その中でも青春の思い出がいっぱい詰まった志賀高原や、歴史ある山岳霊場の戸隠。小林一茶の故郷、黒姫の柏原宿などを巡った。
【戸隠神社】
この当時は大阪始発の特急しなのがあって、直通で長野や松本方面に行けた。しかし、2016年に大阪からのしなのはなくなり、全て名古屋発着にかわった。その後は新大阪からのぞみ、名古屋7時か8時の特急しなのに飛び乗ることになった。
午後、長野駅前からレンタカーで戸隠を目指す。相当以前の信州旅行の時、戸隠バードラインで山崩れが発生したため行けなかった。今回が始めて訪れる。
戸隠は長野県北西部の山岳周高原地帯。凹凸の激しい屏風岩盤を露出する戸隠山を神体とする歴史ある山岳霊場。その中心、天岩戸伝説を持つ戸隠神社は、日本神話の天手力雄命を祀る奥社、天八意思兼命の中社、天鈿女命の火之御子社や、地主神である九頭竜社などから成る。
9世紀に神道と山岳修験道が習合した戸隠顕光寺が建てられ、貴族や武士、やがて庶民の信仰を集め多くの宿坊が建つ門前町を形成。明治の神仏分離令で戸隠神社として再出発した。

長野駅から戸隠の中心地の中社まで車で1時間。その先の奥社は2キロ程歩くしかない。樹齢400年の杉並木が続き、参道の中程にある藁葺き屋根の隋神門を過ぎると神域。400段以上ある階段をクリアすると奥社。荒々しい戸隠の稜線が望める。
妻は中社参拝や周辺の店舗、宿坊が建ち並ぶく重要建造物保存地区を散策。中社門前のそば店で1時間半後に落ち合う。周辺の建物は、茅葺屋根や鉄板を被せた切妻造りの深い軒など豪雪地帯特有の建物になっている。名物のそば店もいっぱい。修験僧の携帯食として始まったそば粉が戸隠そばの始まり。出雲そば、岩手わんこそばと並ぶ三大そば産地とされる。
【志賀高原】
長野市内で泊まった翌日は、青春の思い出が残る場所。高3の卒業旅行の初スキー。「七色のあの尾根は遥かな未来..青春の二度ない夢..粉雪のあの丘こえるスキーリフトに輝く若さ..ああ美しの志賀高原♪」。観光バスの中で覚えた「美しの志賀高原」の歌は今も忘れていない。その後、社会人になってから毎年欠かさず訪れた場所。相当以前、家族で夏の志賀高原を訪れて以来となる。

国道292号線の志賀草津道路。風情ある湯田中温泉を過ぎるとS字カーブが続く山岳道路になる。志賀高原の中心の丸池、蓮池周辺には由緒ある志賀高原ホテルなどが建ち並ぶ。
周辺の池や湿原を手軽に巡る探索路やトレッキングコースがある。ロープウェーやリフトを乗り継いで色々なスキー場に行ける。林間コースも豊富な国内最大級のスキー場である。当時の定宿であった「渓谷のホテル」は建て替わっているが今も営業していた。
さらに5キロ程登ると木戸池や湯けむりを吹き上げる平床大噴泉。白樺林にダケカンバの黄葉がみられる。熊の湯から一気に高度を上げると横手山の覗展望所。ここから動く歩道のスカイレーターに乗ると10分程で志賀高原の最高峰
横手山頂(2307m)。眼下に志賀高原のシンボル、特徴のあるとんがり帽子の笠ヶ岳が望める絶景。この横手山スキー場から渋、前山、木戸池スキー場を経て蓮池スキー場まで約12キロ、日本一の林間コースを滑る醍醐味は忘れられない。

長野と群馬の県境となる渋峠を越えると、日本の国道の最高地点(2172m)を示す石碑。ダイナミックな山岳景気が続き煙を吹く浅間山が望める。国道を下ると草津温泉であるが、途中の草津白根山のガス濃度が高いため通行止めになっている。
【山田牧場・雷滝】
少し引き返して熊の湯から笠ヶ岳の麓を回り込むような県道を下り小布施、須坂を目指す。山田、七味、五色、蕨、小布施などの温泉が続くため「湯つつぎ街道」と呼ばれる信濃高山地区。この途中、標高1500mにある山田牧場。白樺の木立に牛が放牧されている。この牧場で飲んだ牛乳の濃厚さに驚く。
五色温泉を下った辺りに雷滝がある。小さな駐車場のため15分程順番待ち。裏見の滝とも呼ばれ、滝の裏側か見られる珍しい滝。水量が多ければ凄い迫力だと思う。

【小布施・須坂】
湯つつぎ街道の終点、小布施は栗の産地のため栗製菓店が多い。小林一茶や葛飾北斎らは小布施の弟子や豪商宅に度々滞在したことから周辺には一茶館、北斎記念館。福島正則が晩年に過ごした屋敷跡などがある。
伝統的な入母屋造りの赤いトタン葺の岩松院本堂。ここの天井絵に北斎の晩年の大作「八方睨み鳳凰図」が描かれている。境内には一茶句碑、福島正則の墓碑もある。
須坂は養蚕製糸や醸造で繁栄した商家の大壁造り、土蔵造りの伝統的な歴史的建造物が残る。
【一茶の故郷 北国街道柏原宿】
2泊目も長野で泊り、アップル街道から国道18号線の北国街道を北上する。並走するように旧信越線の北しなの鉄道が走る。一茶の故郷の柏原宿は黒姫の山裾の農村地帯。昔の柏原宿の面影は薄れ、一茶が晩年に暮らした小さな土蔵や義弟の茅葺き家(再建)。周辺に一茶記念館、俳諧寺などがある。
一茶は中規模農村の長男。幼少期に母を亡くし、義母と義弟に馴染めず15歳で江戸に奉公にでる。俳諧を学び小林一茶の俳号を名乗る。50歳で帰郷したが、妻子は次々他界。実父の死後、遺産相続で義母、義弟と揉めたため故郷にはあまり留まらず、門人宅などを転々とした。
村の有力者らの仲裁で住居、田畑の半分と土蔵を得たが、柏原宿の大火で焼失。辛うじて焼け残った土蔵で65歳の生涯を閉じている。
決して恵まれた生涯ではなく、同時代の松尾芭蕉や与謝蕪村ほど知られていなかったが、残した俳句数は両者を圧倒。後世になって正岡子規らが一茶の俳句を高評価したことから名声を博するようになる。

周辺にはいたるところに一茶句碑。黒姫道標、馬頭観音石像などが見られる。黒姫駅前の藤野屋旅館は、傾斜のある赤いトタン葺屋根、深い庇、尖った棟先など雪深いこの地方の伝統的な佇まいを残し有形文化財に指定されている。
天候に恵まれた3日間、この旅の締めくくりはアップル街道沿いにある飯島リンゴ園。「秋映」と呼ばれる真っ赤な大玉リンゴをもぎ取りリンゴジュース。レンタカーを無事返却、日本最長距離(大阪-長野間441キロ)を走る昼行特急しなので帰阪している。<2025.10
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