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これまで上高地はいずれも夏季に訪れている。そのため周囲の山々の雪は消えている。
残雪の多い4月、木々は芽吹きの準備中でまだ殺風景。5月に入ると雪解けは徐々に進み、木々は新芽を吹き若葉に彩られる。この頃の上高地の景色が一番美しい。GWの賑
わいが過ぎて少し静かになった頃に訪れた。 <2022.5.18> |
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■残雪の5月
6年前、残雪の頃に訪れたかったが、タイミングが合わず7月に入ってしまった。雪は消え深緑になっていた。今年こそとスケジュールを調整、天気予報をチェック、好天気を見定めて出発した。
始発の新幹線が京都-米原で徐行運転したため、名古屋で乗り継ぐワイドビューしなの発車時間が切迫していた。ホームを走ってギリギリ飛び乗る。昨年の大雨でアルピコ交通の鉄橋が流された。バスによる代行運転や道路補修のため片側通行などで、大正池には1時間程遅れて12時に着いた。
天気は快晴。この時間帯は焼岳も穂高も順光。大正池の最南端にあるダム畔の小さな展望所から池面に残雪の穂高が揺らいで写る。

急いで田代池を駆け抜け、上高地バスターミナルで帰りの切符を買ってから河童橋に向かう。青い空、残雪、深緑と新緑が入り混じる。これに梓川の水色が織りなす景色は美しい。
今まで自撮りはしたことがないが、この素晴らしい景色と一緒に自分を撮ってみる。しかし、上手く撮れない。スマホを片手に持って手を伸ばしてシャッターを押せない、難しい。何度も失敗しながらようやく撮れたが、河童橋をバックにスマホやカメラのシャッターを押して欲しいと、頼まれたついでに撮ってもらう。

既に13時を過ぎていたが明神池に向かう。その途中、涸沢と穂高の稜線が真正面に望める梓川左岸の小梨平キャンプ場に立ち寄る。ここは河童橋の賑わいが嘘のように静かな別天地。素晴らしい景色を眺めながら持参した遅い昼食。
いつまで居ても飽きない景色であるが明神池に向かう。カラマツや小梨の木立の間から穂高が時々覗く。小梨は6月になると梨の花より小ぶりの白い花が咲くと聞く。
明神にかけて、2対の茎が寄り添うように咲く、白い清楚な二輪草が所々で群生する。明神岳は南斜面になるため残雪は殆ど見られない。緑が萌え始めてきた静寂な明神池から針葉樹林とササに囲まれた木道や地道、沢など変化に富んだ右岸の最後が岳沢湿原。ここを抜けるともう河童橋は近い。
3時間かけて戻ってきた。帰り支度の人が多くなる。河童橋からもう一度、この景色を目に焼き付けてバス停に向かう。外国人観光客を殆ど見かけない。観光業界にとっては大変厳しいだろうが、混雑することなく落ち着いて過ごせる今の方が有難い。

荒々し中にも緑が息吹きだした穂高連峰の稜線を白い残雪が引き立てる美しさ、清き梓川と心地よい瀬音を残す上高地は安らぎの別天地である。
美しい自然に触れると、交感神経の活動が弱まり、リラックス時に高まる副交感神経の活動が増すことが裏付けられている。可憐な二輪草やさまざまな花が咲きだす5月の上高地は最も美しく輝く季節。これまで訪れてきた田沢湖、立山、乗鞍岳など数々の感動の景色と並び賞される。

■深緑の7月
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上高地を訪れたのは長野オリンピックの前になるからおよそ20年ぶり。いずれも夏休み期間中なので穂高の雪は消えている。今回こそ残雪が見られる頃にと思っていたが来れず、深緑に覆われる7月になってしまった。梅雨終盤のわずかな晴れ間を狙って大正池から河童橋。明神池まで往復する。<2016.7.11~12> |

中央西線ワイドビューしなので松本に向かう。松本でアルピコ交通上高地線に乗る。昔の松本電鉄である。松本電鉄を含む長野、諏訪周辺の交通機関が統合されアルプスの意味を込めてALPICO交通になった。
以前はJRに隣接したアルプス口の方に駅舎や乗り場があったが、今はJR松本駅と駅内で繋がり改札口も同じになている。そのことを知らず駅舎を出てしまった。乗り継ぎ時間は8分しかなく、慌てて引き換えす。
上高地の入口、新島々まで2両連結のワンマン列車が単線軌道をゆっくり走る。新島々でアルピコ交通の低公害バスに乗り換えて上高地まで1時間。
上高地に入る最後のトンネルが大正末期に掘られた釜トンネル。荒々しい岩肌がむき出しのまま、高さはバスの天井すれすれ、急カーブと急勾配。トンネルの幅も狭く、一方通行のため信号待ちで長く待たされるのが常であった。ようやく2車線の新釜トンネルが2002年(H14)に開通したが、トンネルの出入口付近で土砂崩れが発生、通行止めになったりする。

■大正池-河童橋
大正池に着いたのは昼過ぎ。大正時代、北アルプスで唯一の活火山である焼岳の大噴火によって梓川が堰き止められて池になった。砂礫が流入、池は浅く小さくなって水面から顔をだす木立も僅かしか残っていない。始めて訪れた当時は妻が感嘆の声をあげた。その後、訪れるたびに神秘的な景観は薄れてくる。
河童橋に向かって設けられた木道や地道を20分程、草原の中に田代池が現れる。さらに20分程で田代橋と穂高橋にでる。橋から上流に穂高、下流に焼岳が望める。
上高地の中心河童橋。橋から望む上流の穂高、下流の焼岳、梓川の透き通った流は絵になる景色。河童橋の少し上流や対岸のウェストン碑、梓川の河原に下りたりのんびり過ごす。
翌日はここから上流の明神池まで歩く。上高地で泊まりたいが、この時期の急な1人宿泊は余程でないと難しい。松本に引き返して駅前のビジネスに泊まる。

■明神池
ホテルで翌日の天気をチェックしたら、午前中は晴れるが午後から曇る。そのため早起きして松本バスターミナル5時半の上高地行き直通バスに乗る。
朝のこの時間帯、河童橋はさすがに空いている。快晴で15度。少し肌寒いが爽やか。河童橋から下流の焼岳は順光で美しい。上流は少し逆光気味であるが、雲ひとつない穂高の山並みが美しく望める。
河童橋を8時スタート。小梨平キャンプ場を通り抜けて梓川の畔にでる。西穂高岳、奥穂高岳、前穂高岳、明神岳と続く荒々しい稜線や、涸沢を最も間近に眺めることができる場所として知られる。残雪が殆どないのが残念であるが、この絶景は時を忘れる。
明神池まで3キロの左岸は樹林と笹に覆われた緩やかな登り道が続く。梓川や明神岳が見え隠れする。
1時間程で創業400年の歴史ある明神館に着く。その前に穂高奥宮、明神池参道の大きな木標が立ちの真正面に明神岳がそびえる。梓川に架かる明神橋、まだ誰もいない河原に下りる。冬に蓄えられた穂高の雪解け水が瀬音を響かせて清らかに流れる。
明神橋を渡ると嘉門次小屋。上高地を世界に紹介したウェストンの山案内をした上条嘉門次氏が営んだ山小屋。その先に穂高神社奥宮のこじんまりした社殿が建つ。
昔、上高地は「神垣内」と呼ばれ、安曇野の穂高神社の祭神が穂高岳に降臨したと伝わる。明神池は明神岳を神体とする穂高神社奥宮の神池。参拝料を払って池を巡る。
明神池から河童橋までの3.5キロ程の梓川右岸コース。細い木道や木立の林道が続く。道端にウツボグサ、カラマツソウなどが咲き、せせらぎ音が心地よく響く。
岳沢湿原までくると視界が開ける。輝く木々の緑が眩しい。青や緑、紺碧色の湿原に枯れた木立が点在する。ここまでくれば河童橋はもうすぐ。変化に富んだ右岸を1時間半かかって河童橋に戻ってきた。朝の静けさはウソのように多くの人達でにぎわっている。
時刻は11時過ぎ、穂高の眺望は程よい順光となる。しかし、上空に雲がでてきて山頂部が少し隠れるようになった。昼食をしている間にみるみる雲が広がりだした。天気予報がドンピシャ。早起きして天気のよい午前中に来てよかった。山の天気の動きは速い。上高地バスターミナルを離れる時にはすっかり雲で覆われた。
■城下町松本
松本に着いた時、下界はまだ青空が少し覗いている。気温27度であるがものすごく暑く感じる。
松本は奈良時代から信濃の国府。明治初期まで事実上の県庁。その後、県庁所在地が長野市に移る。松本の民権運動や松本藩が幕府側であったことなどが影響した。しかし、日本銀行支店は松本にあり経済の中心。長野県を代表する国立信州大学本館や空港も松本。長野県の中には松本県もあるといわれる。
松本城に向かう。駅から歩いても15分程度。湧水で満たされた堀に映す漆黒の天守。
室町時代頃に深志城として存在。豊臣時代末期の城主石川数正のとき本格的な五層六階の天守と小天守、櫓が連結した複合式天守が完成。今も往時の姿を留め、国宝に指定されている。

■時の流れ
これまで大阪-長野間には直通特急ワイドビューしなのが1日1往復だけあった。往路は乗り換えしなくてもよい、この直通特急で帰えりたかったが、この3月で直通は廃止、ワイドビューしなのは全て名古屋発着となった。名古屋から大阪まで新幹線の方が少し早いが、旅の選択肢が減った。
上高地を初めて訪れたのは20歳の頃。その後、安房トンネル(1997年完成)の開通する以前、釜トンネルの入口にあった1軒宿の中の湯温泉に妻子と泊まっているが、安房トンネルや新釜トンネルの建設で高台に移転してしまった。ここから平湯や奥飛騨温泉、高山方面に抜ける安房峠(158号線)は道幅が狭い上、S字カーブの連続で大型車とすれ違う度に大渋滞した。安房トンネル開通(2002年)した今、わずか15分程で通り抜けられるようになっている。

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