

| |
桜の日本三大名所は吉野山、弘前城公園、高遠城跡公園である。この内、知らないのは高遠城跡公園の天下第一の桜だけとなった。妻は何年か前にバスツアーで行って、素晴らしかったと勧められていた。不便なアクセスや開花時期、天気、宿の確保をクリアして中央西線・東線、飯田線やバスの乗り継ぎになる。
<2016.4.9>
|
平年よりやや早い4日に開花、8~10日が満開の見込み。問題は天気。7日に春の嵐が通過した後、天気予報では8日から回復して8~10日は晴れとなっている。9日(土)、10日(日)は混雑するので8日からでかけたい。しかし、上空に寒気が残り等圧線も混んでいるため、雲が多いのではないかと予想。混雑覚悟で土、日にした。
滋賀県で濃霧、新幹線は減速運転。名古屋で中央西線ワイドビューしなのにギリギリ駆け込む。塩尻で中央東線に乗り換えて岡谷。そこからさらに飯田線に乗り換える。
快晴の伊那駅に着いたのは10時半過ぎ。ここから高遠までのJRバスは超満員。予想通り高遠の手前2キロあたりで渋滞に巻き込まれる。途中でバスを降りて高遠まで歩く。

伊那市高遠は南アルプスと中央アルプスに挟まれた小盆地。天竜川に沿って飯田市、駒ケ根市、伊那市などが南北に点在。中央構造線と日本列島を分断するフォッサマグナの境目にある。
かっては諏訪氏高遠藩の領地であったが武田氏が支配。川崖の丘陵地に高遠城が建てられた。
織田信長の武田攻めで落城した後、徳川2代将軍秀忠の四男が高遠藩保科家の家督を継いで保科正之として城下を治める。後に山形、会津藩主となり4代将軍家綱の後見人として幕政を支えた名君として知られる。明治維新後、城は徹去されたが、旧藩士らによって城下の門や橋を復元、桜を集めて城跡公園となった。
城跡公園を豪快に覆う1500本の桜はその規模と可憐さから天下第一の桜と呼ばれている。
城門の桜雲橋に咲く桜と青空が、空堀の小さな池に鮮やかに映る。南ゲートや白山橋から南アルプスの仙丈ヶ岳(3032m)が、本丸や南曲輪からは中央アルプスが望める。
白いアルプスを背景に満開の濃いピンクの桜が映える美しさは格別。周りも豪快な桜の森になっている。
| |
 |
高遠桜はタカトオコヒガン桜と呼ばれ河津桜やお亀桜によく似た濃いピンク。この地方でしかない固有品種とされている。
本丸跡に至るまでの桜雲橋(オウウンキョウ)では橋を覆い尽くすように欄干まで降り注ぐ。
|
 |
高遠歴史博物館の一角に復元された絵島囲み屋敷がある。
江戸城大奥女中頭の絵島、芝居見物後の帰城が遅れたことから7代将軍の生母(月光院)と、6代将軍家宜の正室(天英院)との間で大奥の勢力争に発展する。絵島は高遠に流罪、この絵島囲み屋敷で幽霊された。
高遠桜の濃いピンク色は、高遠城を攻めた5万の織田大軍に対して、高遠城主の仁科五郎盛信(武田信玄の五男)の手勢3千が勇猛果敢に戦い、最後に残った兵と共に壮絶に討ち死にした。その血が桜を赤く染めたと言い伝わる。
地元の人の話によると、近年は濃いピンク色の花弁が薄くなったと嘆いておられたが、それでも濃い桜色、ボリューム、密度、白いアルプスとのコラポレーションはとても素晴らしかった。

帰りのバスも渋滞したが、伊那駅から飯田線でこの日の宿泊先の岡谷に向かう。
諏訪湖が近いこのあたりは寅年と申年だけに行われる御柱祭の真っ最中である。信濃の国の一宮である諏訪大社4宮の神事で、1千年以上も続く国内では最も古くから行われている伝統的行事。
直径1m、長さ17m、10トン以上ものモミの巨木を山から切り出し、大勢の氏子が乗って急斜面から滑り落とす。更に、冷たい川を渡り巨木を清め、人力で里まで曳いて諏訪大社4宮の四隅に6年に一度建て替える。木落としでは死傷者が出るほど勇壮。日本三大奇祭(なまはげ、吉田の火祭り)とさている。
この3日間は下諏訪の秋宮と春宮の木の切り出しと、木落としが行わるためホテルも満員であった。

出発を1日を遅らせて9日にしたのは正解であった。予想通り前日の8日は曇り。中央アルプスも南アルプスも望めなかったようである。決行したこの日は混雑したが、晴天、満開、白いアルプス眺望のベスト条件が揃った。翌日は御柱祭を見物するか、木曽路を歩くかパンフレットを見ながら迷った。

|
|
|