石切劔箭神社(東大阪) <2026.2.11>
通称「石切さん」と呼ばれている神社。大阪城の石垣にも使われた生駒石の産地、生駒山の中腹にある。近鉄奈良線石切駅から急坂の参道に数百店の各種店舗が軒を連ねる。占いが多いのに驚く。
歴史は古く、神武天皇の頃に遡るとされ、饒速日尊(ニギハヤノニコト)とその子の宇摩志麻遅尊(ウマシマヂノミコト)を祀る。
社伝によると天照大神から神勅を受けた孫とされる饒速日尊が、劔と箭を携えて高天原から生駒上社に降臨。地元豪族の長髄彦(ナガスネヒコ)を従え、その妹との間に宇摩志麻遅尊をもうけて河内、大和を治めた。
つまり、天孫降臨した瓊瓊杵尊のひ孫、磐余彦(神武天皇)の東征より前に大和を支配していた勢力(物部氏)が存在していた。古事記、日本書記でも曖昧ながら一部は認めている。
磐余彦が東征の時、孔舎衙江の戦いで長髄彦に敗れて退却、熊野から大和を目指し再び長髄彦と対峙するが、宇摩志麻遅尊の父の饒速日尊と瓊瓊杵尊は兄弟(親子説も)で、共に天照大神の子孫であることを知り帰属。吉備、出雲勢力なども押さえて日本統一を果たした神武天皇が橿原宮で即位したとするストーリーである。

石切は岩をも切り裂き貫く劔と箭の神社。武器を扱う物部氏の地盤は河内と大和の石上である。石上神宮は物部氏の氏神であり石切と同じ宇摩志麻遅尊を祀り、饒速日尊を祖先とする勢力である。
その石上麻呂は藤原不比等と対立する勢力。藤原不比等は古事記、日本書記の編纂の中心人物。瓊瓊杵尊を本流とする神武系統にとって、饒速日尊系統の物部氏は武器を扱う邪魔な存在。藤原京から平城京への遷都で物部、石上氏を遠ざけた。物部氏は衰退して穂積、日下部、石見、弓削などに名を変えて地方分散する。
平安時代初期の物部氏系の「先代旧事本記」では、饒速日尊は神武の大和東征より先に大和に鎮座して支配していたと記録されている。出雲大社では大国主大神と共に宇摩志麻遅尊を祀り、石見の物部神社では饒速日尊を祀っている。出雲の国譲り神話などからも、天照大神とは別勢力の存在を示唆している。
丁度この日は神武天皇が橿原宮で即位した紀元節、現在の建国記念日である。
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