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       -歴史探訪-

武士と禅宗文化 鎌倉

      

薩埵峠を歩き終えた後、湘南海岸の綺麗な夕陽を見て藤沢で泊まった。翌日は江ノ電で鎌倉を訪れる。相当以前に駆け足で鎌倉を訪れているが大した記憶にない。
源頼朝が日本で最初の武家政権を開き、後に執権北条氏が中国宋の禅宗を普及させた古都の歴史文化など、もう少し時間をかけて探訪したい。 <2017.2.22> 
 

      


 相模の国、神奈川県鎌倉市は鎌倉アルプスと呼ばれる山に三方を囲まれ入口が狭い上、南は相模湾に面した天然の要害地となっている。
 平安時代、相模守だった源頼義は源氏の守護神である京都石清水八幡宮の分霊を鎌倉に勧請、由比若宮(元八幡宮)に祀ったのが1063年。その後、源平の合戦で勝利した源頼朝は朝廷より征夷大将軍に任ぜられ、鎌倉に日本で最初の武家政権を開いた。
 平家は朝廷に結び付いて支配を広げたのに対して、源氏は京の朝廷と距離をおいた二元体制として武家支配へと移行していく。しかし、僅か3代で源氏直系の血筋を自ら絶やしてしまう。
 御家人筆頭の北条氏が執権として台頭。これまでの朝廷・貴族文化から武家的な文化や禅宗がひろがる。

 藤沢から乗った江ノ電で長谷寺と鎌倉大仏を訪れる。
 長谷寺の開基は天平時代。本尊十一面観音は高さが9mを越え、木造観音像としては最大級である。境内は四季折々の花の名所。椿、梅、早咲きの河津桜などが咲いているが数はそんなに多くない。
 境内で人気になっているのが、「和み地蔵」「良縁地蔵」と名付けられている可愛いお地蔵さん。石んこ地蔵と呼ばれる現代風彫刻物である。

  

 駅前の参道に戻って、しばらく北上した先に鎌倉大仏が鎮座する。法然上人を開祖とする浄土宗、高徳院清浄泉寺の本尊、銅造阿弥陀如来坐像で鎌倉仏像の中で唯一の国宝。高さ約12m、121トン。大仏鋳造に関する記録は少ないが、当初は木造仏として造られ、その後、銅造仏になったらしい。

 当初あった大仏殿は台風や明応地震の津波で崩壊後、再建されず大仏が露出したままになっている。
 鎌倉は大仏から2キロ程。鎌倉駅前から鶴岡八幡宮へと続く小町通は、グルメ店や土産店が並ぶ。
 鎌倉で幕府を開いた源頼朝は、当初、由比若宮にあった源氏の守護神を鎌倉の中心となる現在地に移した。これが鶴岡八幡宮。
 参道は由比ヶ浜を起点に京都の朱雀大路を模して造られた。一の鳥居から三の鳥居まで続く。三の鳥居をくぐると境内。鎌倉武士の伝統的な神事、流鏑馬の馬場などがあり、太鼓橋、舞殿に続く大石段を上がったところが本宮。緑に覆われた木立の中、朱塗りの社殿が映える。

 大石段下の銀杏。鶴岡八幡宮別当の源公暁がこの木の陰に隠れて、鎌倉幕府3代将軍源実朝を暗殺したと伝わる大木。近年の強風で倒れてしまった。折れた根元から4m程の若木が育ってきている。
 御家人の勢力争で源氏直系の血は僅か3代で途絶える。鶴岡八幡宮の奥に幕府跡碑、その隣に源頼朝を祀る白旗神社。小高い丘に墓所がある。

  

 北鎌倉に向かう。鎌倉五山の建長寺や円覚寺などが点在する鎌倉探訪の定番コースを歩く。
 途中に巨福呂(コブクロサカ)切通しと呼ばれる峠を越える。切通しとは山の一部を細く掘削した戦略的な狭い道。
 源頼朝は天然の要害地を更に補強するため、七か所の切り通しを設けた。しかし、逆に敵に取り囲まれ孤立する可能性があった。その後、鎌倉が都市として発展、物流の往来が盛んになると、狭い入口は交通の妨げとなった。北条執権は狭い切通しを広げて、人馬車が通りやすい鎌倉七口と呼ばれる道を設けた。

 切通しを下った所に臨済宗鎌倉五山筆頭の建長寺がある。鎌倉幕府5代執権の北条時頼により創建。地蔵菩薩を本尊とする臨済宗建長寺派の大本山で、日本で最初の禅宗寺。
 少し遅れて京都でも禅宗寺が建てられるが、既存の天台宗や真言宗の影響を受けたのに対して、建長寺は中国から禅宗僧を招いて本格的な厳しい禅様式を受け継ぐものであった。
 禅宗はインドの仏師で中国禅宗の開祖達磨大師が中国に伝え、これが日本にも伝わった。


         

 明月院に向かう。山手の静観な住宅地の奥にある。蝋梅のほのかな香りが漂い、方丈の円窓からのぞく梅はいかにも落ち着いた禅寺の雰囲気を感じさせる。紫陽花寺として名高く、6月になると明月院ブルーと呼ばれる2m近いヒメアジサイが咲き、参道が埋まる。

 北鎌倉駅前の円覚寺。開基は鎌倉幕府8代執権の北条時宗。元寇(蒙古襲来)で戦没した日本や元の兵士を弔うため宋の僧を招いて創建された。建長寺は鎌倉幕府の官寺。円覚寺は北条氏の私的な寺とされる。
 境内は建長寺と同様、総門・三門・仏殿・法堂が一直線に並ぶ。禅宗では山門ではなく三門と呼び、三つ境地を得て仏殿に至る門とされる。境内は建長寺より広いかも知れない。所々で白梅・紅梅や河津桜が咲く。

  

 通常、でかける時は事前予習をしておくが、今回は旅の途中で行先を変更したためぶっつけ本番。帰ってから改めて鎌倉の歴史を復習することになった。

 源頼朝は父義朝が住んでいた鎌倉に幕府を開いた。しかし、源氏直系の血筋は3代で途絶え、御家人の勢力争いを制した執権北条氏が、京朝廷から迎えた親王を鎌倉将軍に据えて幕府を維持する。
 約150年続いた鎌倉幕府は、後醍醐天皇が掲げた天皇の親政「建武の中興」で討幕へと進む。これに呼応した足利、新田氏らによって鎌倉幕府は滅びる。
 その後、南北朝時代を制した足利氏は京都に室町幕府を開く。応仁の乱から戦国時代に突入して寂れた鎌倉は、豊臣、徳川時代になって鶴岡八幡宮の諸堂が復活しだす。現存の主な建物は徳川11代将軍の支援によって再建され、門前町として復興する。



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