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      -歴史探訪-
 旧東海道の景勝地 薩埵(サッタ)峠

       

  江戸時代から東海道随一の景色といわれてきた薩埵峠。富士山と駿河湾を望む絶景は新幹線や在来線では望めない。車で走ると、あっという間に通り過ぎてしまう。昔の旅人のように歩いて、往時の景色をしのぶとにした。 <2017.2.21>

       

 好天気を見計らってでかけた。静岡で新幹線から在来線に乗り換え、JR興津(オキツ)から薩埵峠を越えて蒲原までの約11キロがこの日の予定である。

 東海道53次17番目の興津宿は本陣跡碑と脇本陣跡の建物が残る。道筋にある宗像神社は海の守護神である興津島姫命(オキツシマヒメノミコト)を祀る。興津の地名の由来になっている。
 温暖で風光明媚なため伊藤博文、井上馨、西園寺公望など明治の元勲の別荘が建ち、興津詣でと呼ばれるほど多くの要人が訪れたといわれている。

  

 駿河湾に迫る急峻な薩埵山の中腹にあるの峠。駿河湾で地蔵菩薩が漁夫の網にかかった。菩薩はインドの菩提薩埵であることから、薩埵と呼ばれるようになったと伝わる。

 安藤広重の浮世絵、東海道五十三次の中では由比薩埵嶺として描かれている。
 海にせり出した断崖絶壁の地滑り地帯で、今も時々通行止めになる。東の箱根峠、西の鈴鹿峠と並ぶ東海道の難所であった。
 急な階段と登坂は結構厳しい。息を切らせて登る途中に東海道碑や峠の標柱、薩埵城跡碑などがある。突然、視界が開けて紺碧の駿河湾越しに富士山を望む絶景が現れる。
 興津駅から1時間半登ってきた疲れは一気に吹っ飛ぶ。思わずここが薩埵峠と思ってしまったが、クライマックスはまだこの先にあった。

      

 アップダウンのある道に梅や河津桜が咲く。東屋や広重の薩埵峠の説明板がある。さらに進むと断崖にへばりつくようにな木組の展望台が現れる。
 眼下の狭い海岸線には東海道線、新旧の国道1号線、海にせり出した東名高速道路など日本の大動脈が重なるように緩やかな曲線を描く。時代が進み、付近の様相は大きく変わったが、山海の自然は往時の面影を残している。
 素晴らしい晴天に恵まれ、写真を撮りまくって峠を下る。丘陵地にミカンがたくさん成っている。紙袋を被ったビワもある。10台位しか停められない駐車場があった。駐車場の空き待ちの車が何台か並んでいる。ここに車を置いて薩埵峠に行くお手軽コースの人達である。

  

 下るに従って富士裾野の視野が隠れて白い頭だけが覗く。由比倉沢地区には柏屋脇本陣、江戸時代から続く小池邸、東海道博物館などが点在する。
 間もなく桜エビの巨大モニメントがある由比駅前。少し先が桜エビとシラスの基地として知られる由比漁港。「海抜2m 地震だ 津波だ それ逃げろ」の看板が目に付く。ここの直売所で桜エビとシラスを食べて土産を買おうと思ったが火曜日は定休日であった。
 海の宝石といわれる桜エビは、水深300m程の深海に生息している世界的にも希少なエビ。日本国内では駿河湾でしか水揚げされない。漁期は春と秋だけに限定されているらしい。

  

 東海道16番目の由比宿。一里塚や本陣跡が本陣公園として整備され東海道広重美術館、交流館などが建ち並ぶ。築200年の染物店、正雪紺屋跡は江戸幕府転覆を企てた軍学者由井正雪の生家。その首謀者の丸橋忠弥は関ケ原の戦いで敗れ、お家取り潰しとなった土佐藩主の長宗我部盛親の庶子である。
 馬の水飲み場や弥次喜多が出迎える宿場館など旧宿場町らしい建物が続く。日帰りのため由比宿から2キロ程先の蒲原で終える。




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