
−歴史探訪−

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柳生街道は奈良春日山と高円山の谷あい、滝坂の道から柳生に通じる古の道、文化庁の歴史道百選に登録されている。二十歳の頃、奈良から柳生、さらに笠置まで自己最高距離となる27キロを歩いた。結婚する前には妻と滝坂の道を歩いている思い出の道。およそ半世紀ぶりに懐かしい道を歩く。 <2014.4.19> |

若い頃のように長距離を歩きとおすのは無理としても、せめて柳生までは歩きたい。奈良から柳生まで標高差400mの登りで二つの峠越え。その逆は標高差200m。以前とは逆の楽なコースにする。
さらに奈良の市街地でありながら古い土壁や石垣、名もない石仏などが点在する高畑の道も訪れる。特に百毫寺の五色椿が落ち椿となる風流さは今しか見れない。
■柳生の里
近鉄奈良駅前からバスで40分。山に囲まれたのどかな小盆地、柳生の里からスタート。
集落の中程に石垣、白壁の立派な柳生藩家老屋敷跡が保存されている。小高い丘にある芳徳寺は、柳生家初代藩主の宗矩(ムネノリ)が父の宗厳(ムネヨシ)の菩提を弔うために創建されたと伝わる。

地方豪族の柳生家は関ヶ原の戦いで徳川方に参陣。兵法家でもあった藩主の柳生宗厳が、刀を持たずに立ち向かい、相手の刀を取り上げてしまう柳生新陰流の「無刀取り」を徳川家康に披露したことがきっかけで、家康の兵法指南役に取り立てられる。
宗厳が隠居後、家督を引き継いだ宗矩(ムネノリ)は徳川二代、三代将軍に柳生新陰流を伝授。石高は1万石程度の小藩であったが、将軍家の剣術指南役として幕閣の重きをなし大名(但馬守)に取り立てられるなど、柳生藩は明治維新まで続いた。菩提寺の芳徳寺境内に柳生家代々藩主や一族の墓が並んでいる。
芳徳寺の先に正木坂剣禅道場がある。柳生三厳(ミツヨシ)十兵衛が開いた剣道と座禅道場、1万人を超える門弟がいたとされる。
■柳生街道
柳生集落の人家の横から細い道を上がる。いきなり阪原峠の登りとなる。山間の峠道は、距離にして1キロ程であるが急坂。地元で「かえりばさ峠」と呼ばれる難所。
石畳の道や疱瘡地蔵を過ぎると視界が開け、前方に箱庭のような集落が望める。坂を駆け下って集落を抜けると「おふじの井戸」、柳生宗矩がここで洗濯をしていた利発な娘を妻に迎えたと説明板にある。
その先が奈良時代創建の古刹 南明寺。本堂は鎌倉時代のもの。ここまでまだ1/5であるが少休止。

この先は多少のアップダウンはあるが歩きやい道が続く。山林やのどかな地道、大和棟の民家を抜けて再び山道を行くと忍辱山(ニンニクセン)の集落。県道の先に平安時代に京都から移設したと伝わる円成寺の茅葺の山門が見える。多宝塔の大日如来像は仏師運慶の初期の作とされ国宝。
柳生街道の最高地点 石切峠(標高482m)まで長い登りが続く。山道あり車道あり、茶畑などを過ぎて誓多林(セタリン)の集落に入る。この付近は奈良、平安時代には山岳仏教の道場となっていて誓多林、忍辱山、大慈仙などインドの聖地に見立てた仏教由来の地名が残っている。柳生から8キロ程、峠の茶屋が見えてきた。
■滝坂の道

茶屋から春日山と高円山の谷あいの渓流に沿った「滝坂の道」を奈良市街地まで一挙に下る。この道は柳生新陰流が盛んになった頃、往来しやすい石畳に整備され、今もほぼそのまま残っている。
春日奥山原生林で覆われた道に地獄谷石仏群や春日山岩窟仏などがある。南都の僧たちの山岳仏教の修行場とされ多くの石仏が点在する。旧道と石畳の新道の分岐点に首切り地蔵が立つ。荒木又右エ門が試し斬りをしたという伝説が残る。
朝日があたる朝日観音磨崖仏、夕日があたる夕日観音磨崖仏はいずれも鎌倉時代の石彫とされている。時折行き交う人に出会う以外は川のせせらぎ、小さなダムの水音しかない。道端に横たわる寝仏を過ぎると木漏れ日の石畳も終盤、まもなく高畑の人家が現れる。
■高畑の道

このまま真っ直ぐ進むと観光客で賑わう奈良の市街地。森の中に入るとささやきの小道から春日大社に通じる。新薬師寺への矢印の方向に行くと高畑の道になる。
高畑には古刹の新薬師寺や百毫寺があり、春日大社の神職達が住む伝統的な土壁、瓦屋根の風情ある町並みが残る。多くの文化人が訪れた志賀直哉の邸宅跡も保存されている。
新薬師寺の壁が直ぐに見えてくる。光明皇后が聖武天皇の病気平癒のために建立された。南都十大寺に数えられ、金堂、東西両塔など七堂伽藍が建ち並んでいたが戦火や落雷で多くを焼失した。国宝の薬師如来坐像、それを取り囲むように守護する十二神将は日本最古最大の塑像でやはり国宝。
風情ある高畑の道。三輪山麓から続く日本最古の「山辺の道」はこのあたりまで続いた。質素な小屋の石仏に手向けられた花、この町の優しさを感じさせる。
百毫寺の石積み階段を上がり山門を潜ると小さな本堂が建つ。天智天皇の皇子で万葉歌人、志貴皇子の離宮跡に建てられたお寺であるが、明治の廃仏毀釈で荒廃した。
ここを有名にしたのは樹齢400年の五色椿。根元の風化した小さな石仏の周りにはらはらと散ってなを映える落ち椿、この時期にしか見れないため是非とも訪れたかった。
この日は柳生から15キロ、9時間。最近では最もタフな歩き、足が攣ってもう限界。
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