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高遠の桜見物を終えて岡谷に泊まった。翌日は諏訪大社の御柱祭を見物する予定にしていたが、木曽路を代表する妻籠宿と馬籠宿も選択の余地として残していた。
前日、何十年ぶりかで乗った中央西線。山と木曽川しかない中に桜や花桃など春の草木が咲く景色を見て、妻籠宿と馬籠宿を訪れることにした。 <2016.4.10> |

■妻籠宿
朝、岡谷駅前のホテルを出発。曇り時々晴れ、4℃まで冷えて寒い。
中央東線の松本行に乗って塩尻に向かう。前日から中央線や飯田線の上下線の乗り換えを繰り返していると逆方向ではないかと一瞬ハットする。本数が少ないから、乗り間違うと大きな時間ロスになる。
塩尻で中央西線のワンマン電車に乗り換える。単線、無人駅が多い。対向の電車待ちなどで駅に停車する時間が長いが、その間に木曽義仲が育った日義(ヒヨシ)、平家追討の旗揚げをした宮の越、洗馬、奈良井駅など、その土地の名所旧跡の説明板をなど見て歴史のロマンに思いを馳せる。山間の木曽川渓流に沿って走る車窓から桜、花桃、三つ葉ツツジ゙など春の草木に彩られた美しい木曽路の景色を眺めて1時間半、南木曽(ナギソ)で降りる。
妻籠宿に一番近い駅である。駅から妻籠宿まで歩くと1時間程かかるが、中央西線に接続した地域バスが止まっていた。10分程で妻籠宿の入口に着く。
バス停の周りは桜が満開。それだけではなく残り梅、花桃、レンギョウ、コブシ、雪柳、モクレンなどが咲き競う。田畑には早くもレンゲが咲いているのに驚いた。大阪でレンゲが咲くのは5月の連休前になるが、「このあたりはみんな一斉に咲くんですよ」と、妻籠宿の観光案内所で聞いた。
バス停から坂を少し登ったところに旧中山道42番目の妻籠宿がある。
旧中山道木曽路は木曽川に沿って、贄川宿から馬篭宿まで11の宿場町が置かれていた。その中で、妻籠宿は奈良井宿とともに江戸時代後期の佇まいを最も色濃く残している。

本陣1、脇本陣1、旅籠31軒の宿場であったと掲示板に記されている。宿場制度が廃止されると急速に寂れるが、火災にあうことなく昔の宿場の姿を残して、飛騨白川村と並んで最初に重要伝統的建造物群保存地区に指定された。
「売らない、貸さない、壊さない」をもっとうに電線の地中化、派手な表示をしないことなどを申し合わせてきた。道の両側には2階が少し張り出した出梁造り、千本面格子の昔ながらの家並が続く。軒に吊るされた藁造りの花活けや、何気なく置かれた季節の花が余計に引き立つ。

本陣は、木曽路は全て山の中である・・・から始まる「夜明け前」の作者、島崎藤村の母の生家。藤村の兄が養子に入って本陣の当主を勤めていた。明治時代、当主の東京転居で取り壊されたが、後に江戸時代後期の間取り図面を基に石置き屋根造りの南木曽町妻籠宿本陣博物館として復元された。
向かいの奥谷家脇本陣は藤村の初恋の人、ゆふさんの嫁ぎ先。藤村の有名な詩集 若菜集の中の初恋「まだあげ初めし前髪の、林檎のもとに見えしとき、前にさしたる花櫛の、花ある君と思ひけり」のモデルの人。
■妻籠宿から馬篭峠越え
妻籠宿で1時間以上過ごす。観光案内所で旧中山道の地図を貰って8キロ先の馬篭宿を目指す。始めはアスファルトの緩やかな登りであるが、次第に地道、石畳、階段など変化に富んだきつい坂道になる。
妻籠橋を過ぎて急坂を登りきったところの集落が大妻籠。ここから下り谷と呼ばれる石畳の急な下り。ゴツゴツして意外と歩き難い。一旦下ってから再び登る、これを数回繰り返す。

出会う人は多くはないが予想通り、自分とは逆の馬篭から妻籠に歩く人が殆ど。何故か欧米人が多い。
馬篭峠越えは、妻籠宿から標高差370mの登りであるが、馬篭宿からは200mのためこちらの方が少し楽。
しかし、JR乗車規定で途中下車は進行方向のみで、後戻りはできない。南木曽駅で途中下車、妻籠宿から峠越えで馬篭宿まで歩き、進行方向の中津川駅から再乗車する厳しいコースになる。
馬籠峠の手前に吉川英治の小説、宮本武蔵がお通と出会う男滝と女滝がある。峠の急な登りに備えてここで休息するが、ペットボトルが空になってしまった。途中に売店や自販機は全く無い。ようやく峠の小さな茶店に着いて水分補給と五平餅の昼食。
標高790mの馬篭峠が長野県と岐阜県の県境。峠を越えると数軒の集落がある。険しい峠道は馬ではなく牛が使われていた、その牛方の宿。ここから馬籠宿まで3キロは楽な下りになる。

■馬篭宿
所々に熊除けの鐘があったり、桜や花桃が咲き椿の道もある。水車小屋を過ぎて階段を少し登ったところに展望台。眼の前に恵那山と木曽の山並みや木曽谷が望める。
展望台から坂を下ると中山道43番目の馬籠宿。本陣1、脇本陣1、旅籠18軒があった。
馬の背中のような尾根に石垣を築いて建てられた馬篭宿は、水の便が悪く何度か大火災にみまわれている。地域バスの運転手さんによると、山裾から尾根に向けて風が吹き上がるため大火になりやすく、古い町並みは殆ど焼失したとのこと。
馬篭宿の本陣を務めた島崎家は藤村の生家。やはり焼失、その跡に藤村記念館が建てられた。その隣に馬篭宿きっての老舗大黒屋がある。藤村の初恋の人で、妻籠宿の脇本陣に嫁いだゆふさんの実家である。
馬篭宿に来ると往来する人が急に多くなる。佇まいも少し派手、何年か前に車で訪れた時より観光化して、自撮り棒を持った中国や韓国の観光客が続々来る。
いよいよ馬篭宿の南の出入口まで来た。急な坂道が枡形になっている。

バスで中津川に向かう。空いていた名古屋行の快速電車をスルーして、次の特急ワイドビューしなのに乗ったのが大失敗。御柱祭の見物帰りの人が多かったようで満席。デッキで立つことになった。
中央西線は若い頃、山やスキーに行った時に乗っている。大阪-長野間のディーゼル急行ちくまや、名古屋-長野間の蒸気機関車きそは、塩尻まで700m程ある標高差をあえぎながら登った。今の振子型特急ワイドビューしなのは、山間の軌道を速度を落とさず軽快に走る。
歴史の面影を色濃く残す旧中山道木曽路の妻籠宿と馬篭宿。豊かな春の景色は予想以上に素晴らしかった。妻籠や馬籠より規模の大きい奈良井宿、機会をみて訪れてみたい。

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