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JR おおさか東線

      2019年のダイヤ改正で話題のおおさか東線が9年遅れでようや全線開業した。
      1日乗降客数が5万人以上と予想されている待望の大規模新線。大幅に遅れて
      ようやく工事がスタートした2013年から開業までの記録を綴る。



 おおさか東線は既存の城東貨物線を再整備した新大阪−久宝寺(八尾)間を結ぶ旅客新線。
 大阪の南北を結び、新大阪駅に直結するJR大阪外環状線として位置づけられ、新大阪から北梅田新駅への延長も予定されている。そのうち南半分は2008年に先行開業しているが、新大阪に乗り入れる北半分は2012年開通予定から大幅に延びていた。
 自宅から新大阪に行くには何度か乗り換える必要があったが、おおさか東線が開業すると、ほぼ自宅の真下にできるJR野江駅から新大阪まで乗り換えなし、利便性は格段に向上する。 
 

おおさか東線全線開業 <2019.3.16>


 2019.7
 2019.7


 2018.12

 2017.12
 2017.11

 2017.11

 2016.5

 2013.9

 2015.4

 2013.5

◆7月初乗車
 毎日のようにウグイス色の電車を見かけるが、初乗車したのは7月になってから。JR野江の改札口が思ったより北側になり自宅からは4分近くかかる。
 新大阪駅まで10分、180円で行けることになった。今までは京阪電車とJR大阪環状線、東海道線の3線を乗り継いで最速でも30分。330円であったから所要時間、運賃とも大幅に改善された。

 駅構内は能ルーツの一つとなる榎並猿楽の衣装や能舞台五色幕、演舞の様子を表現したカラー造形が取り入れられている。鎌倉時代に形成された日本固有の榎並猿楽は、住吉大社の御田植神事の本座を担ったと伝わる。後に観阿弥から世阿弥らの能流派へと引き継がれる。
 車両は古すぎる201系。大阪環状線から払い下げの鋼鉄製。朝夕や休日に運行される快速のみステンレス車体の321系となる。
 運行ダイヤは1時間に4本しかない。同じ軌道を貨物列車も走る関係で制約される。京阪電車の6〜8本に比べると少ない。


◆試験運転開始
 2018年末から試験運転が始まり、毎日のように自宅マンションんから見かけるようになった。駅舎が完成して内覧会が2月にあったが行けなかった。


◆JR野江駅舎工事
 開業2年前、野江新駅舎工事はゆつくりであるが進んでいる。しかし、梅田阪神百貨店の建て替え工事の進み方に比べるとイライラするほど遅い。


◆新大阪駅ホーム増設工事
 新大阪駅のおおさか東線発着ホームは、在来線の東側に新ホームが建設された。
 ところが、増線によって東淀川駅の踏切の閉じる時間が長くなることに、周辺住民から反対運動が起こった。
 そのため、おおさか東線は東海道線の上を越え、踏切のない貨物高架線から関空・紀勢線や、北陸線特急などが発着する西端のホームに入線する方式に変更される。この影響でホームや線路の付け替え変更で開業が遅れている。



◆阪急淡路駅高架工事
 菅原道真が左遷され大宰府に向かう途中の川下りで、淡路島と間違え上陸したことが地名の由来となた淡路。
 阪急京都線と千里山線をオーバークロスする場所にJR淡路駅が新設される。

 淡路周辺では阪急京都線と千里山線の大規模な高架工事が先行着手されている。京都線と千里山線が淡路駅の前後で平面クロスするため信号待ちが多く、スムーズな発着ができないことや、多くの複雑な踏切が長年の課題となっていたため、淡路は高架の立体交差駅となる。
 現在、地上の阪急線を高架にするには、上方を走るJR線のさらに上方をオーバークロスする必要がある。そのため阪急淡路駅は鉄道駅では最も高い30mの高層駅舎になる。
 周辺は住宅や商店の密集地で用地買収が進まず、阪急の新大阪駅乗り入れが紆余曲折したこともあり長年間フリーズされてきたが、ようやく淡路駅周辺の大規模再開発が動きだした。


◆赤川橋梁閉鎖・複線化
 淀川を跨ぐJR赤川橋梁。もともと複線仕様であるが単線の貨物仕様のため、空いている片側を市道として共用提供されてきた。
 人道橋の横をすれすれに長大貨物列車が走ることから鉄道ファンが集まる名所になっていた。
 約80年間使用されてきた人道併用橋は2013年秋に閉鎖。今後、歩道としての機能は無くなる。そのため名残を惜しむ人達が多く訪れている。2015年から鉄道専用複線軌道に生まれ変わる。



◆複線化と新駅建設開始
 昭和初期に開通した城東貨物線は将来を見越して、敷地や架橋部などは当初から複線用に確保されていた。そのため新たな用地確保は一部だけとなり、殆どが複線化に伴う拡張と、新駅の建設になるはずであった。
 ところが、貨物線から分岐する吹田の用地の不法占拠と、東淀川駅の踏切対策が難航した。
 そのため、先行開業している南半分の久宝寺−放出間から大幅に遅れ、2013年からようやく北半分の延長工事始まった。

 おおさか東線の計画は1952年(S27)の城東貨物線客車運行促進連盟の設立までさかのぼる。
 当初は北大阪(吹田)から大阪市東側を南下、南港に至る大阪外環状線と位置付けられていた。しかし、採算性と新大阪駅の新設や国鉄の民営化などで紆余曲折、当初の計画は白紙になった。


 将来的には新大阪駅から南進延長、北梅田地下新駅に入り、大阪環状線を経由しないなにわ筋地下新線の建設で、関西空港線や大和路線と繋がる構想が示唆されている。





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