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       −ちょっとおでかけ−    
        

夏 − 花火・祭り

大阪城 城灯りの景 天神祭 大阪 大阪の花火三景 祇園祭 京都
箕面大滝ライトアップ おふさ観音 風鈴まつり 梅田ゆかた祭 奈良燈花会・春日大社万灯篭
 

 奈良燈花会・春日大社万灯篭

 <2025.8.15>

 お盆、妻が眠る京都八坂の東大谷祖廟にお参り。その帰り、近鉄京都線に乗って奈良燈花会(トウカエ)と春日大社の中元万灯篭に行った。
 燈花会は奈良公園の興福寺、東大寺、浮見堂、春日野苑地など世界遺産一帯に1万本を超えるロウソクで優しく照らす行事。燈花とは灯心の花のようなかたちで、縁起がよいと伝えられている。
 お盆の2日間限定の春日大社中元万灯篭は、境内の石灯篭2000基、釣灯篭1000基に浄火が灯される。室町時代から江戸時代にかけて、雨乞い祈祷として浄火を献じて神様に祈願したのが起源とされている。
 記録的少雨とカメムシの大量発生で稲作農家は悲鳴。ダムの貯水量低下で給水制限水など不足が続いている。早く涼しくなって雨が降って欲しいと願うばかり。

           
興福寺中金堂                       春日大社回廊
  







 梅田 ゆかた祭

 <2025.7.20>

 梅北グランフロント、西梅田、阪急茶屋町など五ヶ所でゆかた祭、打ち水、縁日、ゆかた着付け教室などさまざまなゆかた(浴衣)の催しが行われている。
 なかでも大阪駅北口グランフロント広場の盆踊りは、誰でも参加できるため外人も参加している。
 ゆかたの起源は、平安時代の貴族が蒸し風呂に入るときに着用した麻の湯帷子(これが、ゆかたの語源)。入浴が主流になった江戸時代に貴族や武家のあいだで肌着としてゆかたが定着、庶民に広がった。
 ゆかた祭りは、江戸時代中期の姫路からといわれる。姫路城姫山の長壁神社における夏の遷座祭に正装を持たない庶民にゆかた姿で参加を許したのが始まりらしい。







 おふさ観音 風鈴まつり

 <2025.7.5>
 おふさ観音は大和橿原にある高野山真言宗の観音寺。創建は江戸時代初期、村の「おふさ」と呼ばれる娘が観音菩薩を小堂に祀ったのが始まり。おふさ観音と呼ばれるようになって、小房が地名になった。
 大和地方では夏の厄払いに観音様にお参りする風習があり、少しでも涼しさを演出する風鈴まつりが夏の風物詩として定着したといわれる。
 決して広くはない境内に約3000個の風鈴と、真っ赤なハイビスカスの大輪や夏のバラが彩りを添える。
 風鈴の起源は中国、風鐸と呼ばれていた金物。日本に伝わり魔除けとして寺院や貴族の家の軒先に吊るされた。ガラス製が出現するのは江戸末期頃からとされる。

  

 小房の集落は畝傍山、香久山、耳成山のほぼ中間に位置して、平城京から神武天皇陵、橿原神宮、さらに吉野を結ぶ道筋にあり、八木町、今井町とともに有数の在郷町であった。狭い道筋であるが、卯建造りに厨子二階や面格子、漆喰蔵の古い民家が残っている。







 箕面大滝 ライトアップ

 <2024.8.22>
 大阪の郊外、北摂丘陵の箕面公園の中に落差33mの大滝がある。滝道周辺はモミジの名所のため秋は賑わう。以前は、今の倍近い滝幅、下流一帯でも水遊びできるほど水量豊があったが、滝の上流で新御堂筋のトンネルが掘削されてから水脈は分断。ポンプアップしているが水量は半減してしまった。
 テレビで納涼サマーライトアップされていることを知った。
 お盆が過ぎても37度の猛暑日、残暑厳しい。涼を求めて夕方からでかけた。川沿いの滝道、少しは涼しいかと期待したが、日没後も気温は下がらず、滝まで3キロの道のりで汗びっしょり。
 滝のまわりで僅かな涼が得られるが、汗は引きそうにない。それにすごい混雑。幻想的な光景をカメラに獲って撤退。

      







大阪城 城灯りの景(え)

 
<2012.8.26>
      

 夏休み最後の日曜日、大阪城一帯が2万個のロウソク行灯が灯され、レーザーとLEDライトによる光の演出で大阪城西の丸公園や天守閣一体が幻想的に浮かび上がった。
 大阪市や大阪商工会議所などが大阪城天守閣復興80周年記念や、昨年の東日本大震災からの復興と、上町台地周辺の魅力をアピールする夏のイベントとして行われた。

      







天神祭 燃える祭典


 
<2012.7.25>
       

 暑い大阪の燃える天神祭。陸渡御(リクトギョ)の先頭を切るのが催太鼓。願人(ガンジ)と呼ばれる6人が3人づつ向かい合って太鼓を叩く。
 赤い布が垂れ下がった烏帽子をかぶり、背中に背ブチと呼ばれる木の棒を背負っている。若者が憧れる花形の願人は舁ぎ方を三年以上経験しなければなれない。


 
<2011.7.25>
   

 天神祭りは平安中期に始まった伝統的な神事。神鉾を当時の淀川に流して、流れ着いた浜でみそぎを行った。その時、周辺の人達や崇拝者が船を仕立てて、お迎えした船渡御(フナトギョ)がその起源。
 豊臣時代から徳川元禄期にかけて浪速の繁栄のシンボルとして隆盛を極め、時代とともに祭のかたちは変化している。
 船渡御で船と船がすれ違うたびにかわされる「大阪じめ」、堂島米相場の交渉の際の手締め。祭りを盛り上げる鳳神輿や玉神輿は幕末頃、神様を乗せた御鳳輩は明治天皇が御鳳輩に乗って地方視察をした時期から登場した。
 神様となった菅原道真の氏地視察が陸渡御。その道案内は天狗面の猿田彦であったが、今は催太鼓が先頭。猿田彦が乗る馬が催太鼓の音に驚いて、入れ替わったとか。
 催太鼓や神輿を船に乗せる時は、大型クレーンで吊り上げる。船渡御は地盤沈下で大川下流の橋を通過できなくなったため上流に変更された。

   

 祭りに彩りを添えるギャル神輿は20年程前から始まった。数年前から花娘や、うちわ娘が加わり、新しい風物詩として定着した。夜の船渡御までの間、ちょっと鼻の下を伸ばしてギャル達を追って撮ってみた。







大阪の花火三景 

 天神祭 大川の花火見物 <2025.7.25>

 奉納花火をする大川の桜之宮公園は近いが、混雑が酷いため毎年バルコニーから眺めるだけであった。
 混雑覚悟で今年始めて行ってみた。やはり目の前で打ち上げられる花火は迫力がある。しかし、過去最高の100万人の人出とかで大混雑。身動きができず、三脚など使用できるスペースなどない。会場からの脱出するのに1時間。もう懲り懲り。

  

 天神祭は、菅原道真の御霊が大阪天満宮からでて、神輿や船に乗り御旅所を周って穢れを払う行事。千年余の歴史がある夏の大阪の風物詩である。
 日中の陸渡御は陣太鼓、神輿、祭り囃子、花笠、知事、市長、氏子など延々と1キロも続く。
 夜は船渡御。かがり火を焚いた大川に100隻以上の船が行き交い、日が暮れ始めると3千発の奉納花火が打ち上げられクライマックスに達する。



 大阪の花火三景 <2012.8.5>

 大阪の花火は「天神祭奉納花火」から始まって「PL花火」、「なにわ淀川花火」の順に行われる。いずれも自宅マンションから眺めることができる。

天神祭奉納花火 
 7月25日の本宮。大川まで直線距離2キロと最も近い。バルコニーからほぼ目の前であるが、打ち上げ数が3千発程度と少ないのが欠点。
 それに、OAP前と川崎橋の2か所から分散して打ち上げる。川崎橋の方は打ち上げ高さの制限があるため、ビルに遮られて上部しか見えない。
PL花火 
 8月1日。富田林まで直線距離で25キロもあるため遠過ぎるが、室内で座って眺められる。
 息づく暇もないほど次から次に打ち上がる。仕掛け花火は全く見えないが、フィナーレの超大型スターマインは閃光と共に周囲がぱっと明るくなるほど凄い。
 以前、富田林まで行ったが混雑で身動きできない。帰宅は0時を過ぎていた。これまで日本トップ10万発もの打ち上げ数を誇ったが、教団の内紛から花火や高校野球は縮小傾向にある。

              PL花火                        天神祭奉納花火
   

なにわ淀川花火 
 8月第1土曜日。淀川の十三・豊津河川敷まで4キロ。室内からは無理、マンションの非常階段からの見物となる。
 最初は地元ボランティア・企業・商店などが企画した手作り花火であった。年々規模を拡大して、今や大阪を代表する花火大会になった。打ち上げ数は未発表であるが約3万発とされている。
 梅北開発地区に高層ビルが立ち並ぶようになって、少し遮られるようになってきた。


             なにわ淀川花火
 
 


 <2014.8.2> 
 淀川河川敷の有料観覧チケットをもらった。目の前、真上で次から次に休む間もなく打ち上がる大迫力。椅子に座って拍手喝采。

 しかし、帰りが大変。混雑で淀川の堤防を脱出するのに時間がかる。放置されたゴミの山。会場だけではなく沿道まで所かまわず置いて行くモラルの無さ。








祇園祭 京都

 <2014.7.17>

 4年前は山鉾巡行の見物に駆け巡ったが、今回は山鉾が出発する四条烏丸周辺にポイントを絞った。
 見物人もそんなに多くない朝早く京都に入って、巡行が始まって混雑する頃に退散することにした。

 今年の特徴は49年ぶりに17日の前祭(マエノマツリ)と、24日の後祭(アトノマツリ)に分離する。もう一つの話題は150年ぶりに大船鉾の復活である。
 その大船鉾は古代神話で登場する神功皇后をご神体とする。室町時代に造られ江戸末期までは後祭の最後尾を巡行していたが、蛤御門の変で焼失してしまった。
 地元有志らの1億円近い寄付金によって今年から復活することになった。

 この機会に前祭と後祭に分離した本来の祭の形を復活させた。
 山鉾巡行する17日、京都の朝は特に早い。宵山の提灯やテントの撤去、周辺の清掃、山鉾に掛けられた懸装品を本番用の豪華なものに替えてご神体を乗せる。
 山鉾の入念な点検整備なども手際よくされる。準備が整う頃、巡行に加わる人達は定められた衣装に着替えて町会所に集まる。そんな様子を烏丸周辺で見物した。

 8時前になると警察官や警備員は更に増える。8時半、四条通の交通が遮断さられると同時、鉾が通る北側の信号機を90度回転させて奥に入れる。長刀鉾は東洞院から出発点の烏丸交差点までバックする。この頃になると大勢の人で身動きし難くなってきた。烏丸以西の山鉾集合地点に戻る。

   

 四条通の北側車線に「鉾」、南側車線に「山」が出発順に並び始める。四条烏丸から室町、新町にかけて豪華な懸装品で飾られ、動く美術館と形容される山鉾が結集する様子は壮観である。
 9時、長刀鉾を先頭に巡行がスタート。待機している山鉾も合図に従って順番に出発して行く。超満員となって身動きできない四条通を避けて退散。この日の京都の最高気温は37度の猛暑日であった。


 <2010.7.17>
      

 祇園祭を見物するのは20年ぶりぐらいになるだろうか。梅雨明けの土曜日と重なり20万人もの人出。
 この祇園八坂神社の祭礼は9世紀中期に始まったとされている。京をはじめ日本各地に飢餓や疫病が流行した。これを祇園社の守護神 牛頭天王(ゴズテンノウ)の祟りと恐れ、御池の神泉苑に鉾を立て、神輿をかついで疫病神や邪気退治などを祈願したのが起源とされる。
 祇園は平家物語の祇園精舎に由来するインドの寺の名前。仏教の守護神が日本では牛頭天王。神道のスサノオノミコトと神仏習合した。後、明治政府の神仏分離令で祇園社はスサノオノミコトを祭神とする神社として再編され、名称は八坂神社に変わる。

 祭りのハイライト山鉾巡行。長刀鉾の出発風景のくじ改め、稚児のしめ縄切りなどは満員で近づけない。
 9台の鉾、23台の山の巡行。見どころの一つは辻回し。最初の四条河原町、次の河原町御池を飛ばして3番目の新町御池にターゲットを絞った。
 10トンもの鉾の曳き車に過剰な負荷をかけず方向転換させる。路面に割竹を敷き、水を撒いて掛け声に合わせて、車方と曳き手が一体となって方向転換する。見物人から大きな拍手が起こる。
 新町通に向かう。これまで広い道路をゆったりと優雅に巡行してきた山鉾が狭い通に入る。
 道幅いっぱいに大きな鉾が通る迫力は凄い。軒先すれすれ。鉾の屋根に乗る屋根方衆が電柱、電線や軒先などの障害物に当たらないように制御しながら進行させる。

 緞帳を掛けた京町屋の2階窓を開け、山鉾が通過するたびに拍手を送る光景はいかにも京都らしい。

   

 鉾の曳き車の車輪径は2m。5〜6畳程の2階にご神体やお囃子衆などが乗る。屋根上に長大な鉾を頂き「真木」と呼ばれる檜や竹、榊、松、杉などが取り付られる。この真木は疫病神や邪気を吸い込むといわれ、巡行を終えると直ちに取り払われ、山鉾もこの日に解体される。






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