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日系社会 |
福島系(小柳眞理の加筆あり) |
沖縄系 |
ハワイ到着 |
1885(1868)初期は広島・山口・福岡・熊本など西日本出身者が大多数(長州閥との関連) |
1898年:後発、すなわち少数派 |
1900年の26人が嚆矢:後発、すなわち少数派 |
人口 |
61,000(1900)、158,000(1940)、現在約30万人 |
1898-1912までに約5000人がハワイへ。その後フィリピン、ブラジル等にも展開し、県別移民送出数は27000人で全国7位(東日本で最多)。 |
1941年までに約2万人がハワイへ。県別送出数広島に次ぎ2位。現在の県系人推計約5万人 |
戦前の歴史・文化(周縁化と関連 ) |
初期は広島・山口・福岡・熊本など西日本の文化が主流:西部方言が標準的 |
会津藩「朝敵・賊軍」。生活様式は本州他県と基本的に同じだが言語的差異(ズーズー弁)が存在(周縁化) |
1879年琉球処分:日本に併合。ウチナーグチに加え、衣食住の全てに差異。相対的貧困(周縁化・被差別)「内輪の文化」。「学術人類棺事件」(1903)非同胞、「生蛮アイヌと同一視・・・} |
宗教 |
主流社会はキリスト教(プロテスタント)。日系人の多くは仏教(浄土真宗は西本願寺系)、神道ほか。改宗者も増加 |
仏教(浄土真宗は東本願寺系)、神道ほか |
自然崇拝等の民俗宗教。檀家制度(江戸幕府の制度)無し、ナイチと別の寺院に。 |
通婚 |
白人からの拒絶、通婚忌避 |
白人からの拒絶、通婚忌避 |
ナイチからの拒絶、通婚忌避 |
主たる生業 |
大部分が砂糖耕地労働から出発。1909年、1920年の大ストライキを契機に各種職業に進出。ただし、日本人の最大の就職先は耕地。二世は教員などに。戦後:二世はホワイトカラーのミドルクラスに。学界・政界・教育界で顕著 |
砂糖耕地労働から出発。1909、1920の大ストライキを契機に各種職業に。転職直後は他県出身の商店主の下で働く例多数。パイナップル栽培に進出した例も(例:岡崎仁平らによるワシントン鳳梨会社設立)。二世は教員などに。(他県人と同様) |
砂糖耕地労働から出発し1930年代三大事業:養豚・レストラン・野菜栽培。戦後はスーパーマーケット、レストランチェーン等ビジネスで成功、富裕層出現。大勢は日系社会と似るが、教員等の公務員の比率が大きい印象あり。 |
同郷組織 |
戦前:ハワイ各地に同郷会、日本人会組織 戦後:ハワイ日系人連合協会(前身1932年結成) |
1923年福島県人会結成。少なくとも5つの村人会が併存(現存するのは1組織のみ)。1930年海外協会支部、1941年日米開戦により解散、1951年再結成 |
1908年金武村人会、以後1910年代~30年代にかけて村人会の結成相次ぐ。1917年1月24日「布哇沖縄県人同志会」、1930年代に布哇沖縄県人会小規模に結成、1941年開戦によりすべての同郷組織活動休止、1951年沖縄県人連合会(UOA)結成、今日のHUOA傘下のクラブ(市町村人会等)50 |
同郷組織活動 |
ピクニック(夏)、新年宴会(新春) |
県人会主催でピクニック(夏)、新年宴会(新春)。冠婚葬祭の手助け |
市町村人会単位でピクニック(夏)、新年宴会(新春)。より私的には冠婚葬祭、模合(頼母子講) |
県人会主催催事(祭等)<伝統の創造と関連> |
JCCH主催のイベントは年間を通し種々行われているが、今日、県人会主催の大きな祭は沖縄県人会のオキナワン・フェスティバルが著名。寺院や地区が主催する夏のボンダンスは非常に盛ん。 |
祭りの主催はなし。県人会の役員を含む有志が戦後に結成した「ホノルルボンダンスクラブ」が夏のボンダンスフェスティバルに参加 |
オキナワン・フェスティバル(HUOA主催・年1回。来場数約5万人、ボランティア約3000人)。その他子ども・青年・壮年・高齢者向け催事多数 |
拠点(会館) |
JCCH(@Honolulu) |
なし |
HOC(@Waipio)、1990年竣工、総工費10億円超 |
母県との交流・相互扶助 |
広島、沖縄、熊本、福岡、山口、和歌山、福島等を出自とする移民は、戦前から母県の家族親族への送金等を通して深く強い繋がりを持っていたが、特に戦後は、世代を重ねるごとに関係が薄くなっている。とはいえ、多数の移民を出している県などは今日も県レベル、市町村レベル等で交流を重ねている事例も少なくない。 |
戦後の草の根の物資支援(布⇒福島)、小名浜水産高校の練習船のホノルル寄港・交流、移民50年で知事から木杯贈呈(1957 福島⇒布)、福島県政100周年祝賀訪問(1976 布⇒福島/観光団の派遣)、県の若者短期交流制度、東日本大震災後の被災者受け入れ支援、震災被災者への寄付金の送付(布→福島) |
戦後の救済事業(布⇒沖)、移民80年祭(沖⇒布)、マウイ大火(沖⇒布)、県の国際交流事業⇔HUOA:若者交換留学制度等。琉球大学⇔UH、沖縄ハワイ協会⇔HUOA。ハワイ家系図研究会を沖縄県立図書館がサポート。継続的に盛んな交流 |
アイデンティティ 帰属意識 |
戦前:明治精神のプライド、ただし主流社会からは劣位、二級市民扱い。戦中:戦争協力。戦後:60年代以降国域的エスニック運動、日系人のプライド |
戦前:後発組であることによる経済的・社会的劣等感。他県人との言語的差異による疎外感。戦後:経済・社会的にも他県人と同等に。使用言語の英語化により言語的劣等感薄れる。先人の記憶、福島への愛着を仲間内で共有 |
戦前:ナイチに対する劣等感(ネガティブ・アイデンティティ)。戦後:エスニック運動の影響、特に80年代のウチナーンチュ運動の成果、ポジティブ・アイデンティティ(Proud to be Uchinanchu)。「日系ではない」「日系で、沖縄系」 |